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核廃絶の遺志 次代へ 被爆者岡田さんの孫 富永さん 西区できょう 平和テーマの催し

 4月に84歳で急逝した被爆者岡田恵美子さんの孫でダンサーの富永幸葵(ゆうき)さん(24)=広島市東区出身、東京=が広島原爆の日の6日、西区で平和をテーマにしたイベントを初めて開く。「被爆者の記憶と思いを次代につなぎたい」。国内外で体験を証言し、核兵器廃絶を訴え続けた祖母の遺志を継ぎ、一歩を踏み出す。

 イベントでは岡田さんの証言映像を流すほか、富永さんたちが平和をテーマにしたダンスを披露。参加者が交流する時間も設ける。絵や写真などの作品も展示し、若い世代が参加しやすい内容を盛り込んだ。

 岡田さんは8歳の時、爆心地から2・8キロの尾長町(現東区)の自宅で被爆。建物疎開作業に動員されていた4歳上の姉は行方不明になり、遺骨も見つからなかった。1987年、渡米して被爆体験を語ったのを機に平和活動に関わり、修学旅行生や海外旅行者たちに積極的に体験を語った。

5年前から同行

 富永さんが祖母の思いに向き合うようになったのは5年前。求めに応じ、被爆証言に同行し始めた。いつも柔らかな笑顔を浮かべていた祖母は、証言の場では一変した。魂を込めてあの日を語る表情は、富永さんが知る「ばあちゃん」とは違った。家族で集う時間に体験を聞いたことはなかった。「自分に何ができるのか」。祖母の思いを知るほど、悩みを深めた。

「行っておいで」

 富永さんが祖母と最後に言葉を交わしたのは亡くなる前夜。「悩みがあるん?」。ふいに声を掛けられ、思い切って打ち明けた。「東京でダンスを学びたい」。祖母を悲しませたくなくて、ずっと言い出せなかった。「やりたいことができるなら、行っておいで」。いつもの笑顔で背を押してくれた。

 富永さんは6月、東京に生活拠点を移した。古里に帰ると、修学旅行生たちに語り掛けていた祖母の言葉をかみしめる。「『お帰り』って言ってくれる人がいることが幸せなんだよ」

 イベントの準備は、平和活動を通じて祖母と交流があった広島大大学院1年赤井理子さん(22)たち9人と進めた。「ばあちゃん、自分なりにみんなで頑張ったよ」。祖母が亡くなって初めて迎える原爆の日に、そう報告しようと思っている。

 イベントは午後3~7時、西区観音町の「バー&スペース9」である。入退場自由だが、新型コロナウイルス対策のため会場内の人数を20人に限る。事前申込者を優先する。https://forms.gle/DbwniPsQohbNhEKq8(小林可奈)

(2021年8月6日朝刊掲載)

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