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託し、託される思い 広島 あす原爆の日

 広島は6日、原爆の日を迎える。米国が原子爆弾を投下してから68年。被爆者や遺族は老いを深める。被爆の記憶は風化しかねない。語り継ぐ努力を怠れば、被爆者が「絶対悪」と呼ぶ核兵器を肯定する危なっかしい考えが勢いを増す。私たちはもっと危機感を持つべきだ。

 被爆者健康手帳を持つ被爆者の平均年齢はことし3月末で78・80歳。被爆者の数は20万1779人で、昨年同期に比べて9051人減った。被爆者や遺族の肉声を聴く機会は、少なくなっている。

 1発の原爆によって当たり前の日常が奪われる。戦争体験のない世代には容易には想像できない。ならば、自分の身に置き換えて考えてみよう。例えば、ある日突然、一家の大黒柱を失ったとしたら。残された妻や子どもはどう生きていくのか―。

 この夏、中国新聞社は連載「ピカの村 川内に生きて」に取り組んだ。広島県川内村、いまの広島市安佐南区川内地区が舞台。国の命令で国民義勇隊として、市街地の建物疎開に動員された約180人が全滅したのだ。

 夫を失った妻は70人以上。畑で泥にまみれ、家族を養った。歳月は流れ、その女性たちもいま、野村マサ子さん(92)ただ一人になった。「戦争は嫌です、若い人が平和を守ってくれなきゃ」。託された使命は重い。

 松井一実市長はことしの平和宣言で、世界の指導者に「核の威嚇」から「信頼と対話」に基づく安全保障への転換を求める。ヒロシマの訴えは国際社会に響いているのか。

 4月、スイス・ジュネーブであった核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会。核兵器の非人道性に焦点を当て、不使用を求める共同声明に約80カ国が賛同した。

 廃絶を目指す新たな潮流に被爆国日本は背を向け、声明に賛同しなかった。米国の差し出す「核の傘」に自国の安全保障を依存しながら、廃絶を訴える矛盾をあらためて露呈した。安倍晋三首相はその依存度を高め、平和主義を掲げる憲法の改正に意欲を示す。

 悲しみや怒りを核兵器廃絶の願いに変えてきたヒロシマ。その土台である体験と記憶を受け継ごう。担うべき使命をかみしめるために。(下久保聖司)

(2013年8月5日朝刊掲載)

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