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回天の悲劇継承誓う 76年前に学徒兵犠牲 碑建立10年 上関町長島住民 平和 尊さ訴え

 太平洋戦争末期、人間魚雷「回天」に乗り込み、訓練中に事故死した学徒兵、和田稔少尉を悼む山口県上関町長島の記念碑が今夏、建立から10年を迎える。和田少尉の妹と交流を続け、設置の中心となった元町職員の原田博之さん(90)は「風化させないよう戦争のはかなさを伝えていく」と思いを新たにする。(山本祐司)

 地元で魚の天ぷら製造販売店を営む原田さんはこの10年間、客に碑の場所を教えたり、自身が開いたサロンで和田少尉の写真や、妹の西原若菜さん=千葉市=が寄せた手紙を展示したりして地道に輪を広げた。毎年、碑を建てた発起人たちで集まり慰霊祭も続けた。

 和田少尉は1945年7月、東京帝国大(現東京大)在学中だった23歳の時、光市の光基地から訓練で発進後、行方不明になった。終戦直後の9月、長島の白井田地区に漂着した回天から遺体が見つかり、荼毘(だび)に付された。乗り込むまで書き連ねた日記は後に出版された。

 原田さんは町職員だった81年、兄の最期の地を確かめに訪れた西原さんを現場に案内。泣き崩れる姿が心から離れず、碑の建立を目指した。住民たちの協力を得て2011年8月、白井田漁港の近くに完成させた。兄と妹が離別を惜しみ手を取り合うデザインで、中央の穴は回天の「出口」を意味する。現地の老人会が清掃し大切に守る。

 自らも学徒動員中、徳山空襲に遭った原田さんは「人間を酷使し、命を湯水のように使ったのが戦争だった。あっという間の10年だったが、若者たちの尊い命を無駄にしてはいけない」と誓う。

(2021年8月6日朝刊掲載)

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