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社説・コラム

『潮流』 ヒロシマ・ボーイ

■論説委員 森田裕美

 謎は解けても、胸がつまる。そんな読後感である。

 一昨年の米エドガー賞候補にもなった日系人作家ナオミ・ヒラハラさんの「ヒロシマ・ボーイ」。先頃、邦訳が小学館文庫から出版された。

 カリフォルニアに暮らす日系2世の庭師マス・アライが行く先々で難事件を解決する人気ミステリーシリーズの7作目という。米国生まれの広島育ち、被爆後に帰米した主人公マスは、ヒラハラさんの父親がモデルとされる。

 親友を亡くしたマスは、その遺灰を遺族に届けるため、しぶしぶ訪れた広島で、ある少年の死に出くわす。同じ年頃に被爆した自身の記憶を重ねつつ事件に迫る。軽妙な文体ながら、原爆が人間にもたらし続ける悲惨や、日米のはざまに生きた人々の苦悩が通奏低音のように響く。

 読んでいて無性に会いたくなった人がいる。在米被爆者運動を率いた故倉本寛司さんだ。78歳で世を去って、もう17年になる。その半生はマスとも重なる。ハワイに生まれ、広島で育つ。父を捜して入市被爆。悲惨な体験を忘れたいと帰米し、米国籍も回復した。だが原爆からは逃れられず、生涯を運動にささげた。

 倉本さんたちの運動が興味深いのは、日本政府に国内の被爆者と同等の扱いを求めるとともに、1970年代、米市民として、原爆投下国の米政府に援護法制定を要求したことである。しかし返ってきた言葉は、「彼らはエネミー(敵)だった」。

 「破壊の原動力」が及ぶのは「すべての人間」―。ヒラハラさんは原爆被害を念頭に、そうつづる。

 人類の頭上に初めて原爆が投下されて76年。その非人道性に想像力が及ばない為政者たちに「ヒロシマ・ボーイ」の一人だった倉本さんら在米被爆者の姿を知らしめたい。核被害に敵も味方もないと、体を張って訴えてきた人たちのことを。

(2021年8月7日朝刊掲載)

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