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ピースナイター2013 8月6日 マツダスタジアムでピースナイター

 核兵器廃絶を訴える「ピースナイター2013」が、原爆の日の6日、マツダスタジアム(広島市南区)で開かれる。始球式を務めるのはミュージシャンで俳優の吉川晃司さん(47)=広島県府中町出身。あの日から68年。被爆2世として、古里広島で初の始球式に臨む思いを聞いた。(城戸収)

始球式・五回終了後に独唱 ミュージシャン 吉川晃司さん

球場から「平和」熱唱

「ノーモア・ヒバク」一球入魂

 ―カープ戦の思い出は。
 子どものころ、旧広島市民球場によく行ったなあ。祖父も父も野球ファン。特に叔父が連れて行ってくれた。カープうどんを食べられるのもうれしくてね。唐辛子をいっぱいかけて。家でかけると母が怒るもんで。

 ―被爆2世であることを意識しますか。
 父の実家は原爆ドーム(中区)対岸にあった旅館。原爆投下時は疎開していたけれど、父は入市被爆した。父や親戚から、その時の様子はよく聞かされました。

 ボーイスカウトに入っていたので、毎年8月6日は市の平和記念式典に参列する人に式典のパンフレットを配ったり、ごみ拾いをしたり。原爆資料館(同)にも行きました。被爆者の姿を再現した人形は強烈に覚えている。撤去方針と聞きましたが、残してほしいもんです。

 だから、子どもなりだけど核への嫌悪はあった。本当に意識しだしたのはここ数年です。特に東日本大震災、福島第1原発事故が起きてから。広島に生まれ育った人間として、その使命を深く考えるようになりました。

 ―3年前、母校府中小の子どもたちと平和を願う歌「あの夏を忘れない」をつくりました。
 「平和の歌を一緒につくってほしい」と依頼された時はうれしかった。古里の役に立てる、ミュージシャン冥利(みょうり)に尽きると。子どもたちと被爆者の方々から体験を聞き、一緒に歌詞を考えました。「思い出すとつらい」と振り絞るように話をされた被爆者の姿、使命感に胸が締め付けられた。

 ―大震災直後から被災地でボランティア活動をしたり、ギタリスト布袋寅泰さんとCOMPLEXを再結成してチャリティーライブをしたり。原発問題にも積極的に発言しています。
 日本は広島、長崎と2度の被爆体験をし、第五福竜丸事件も経験した。それが原発事故でまた被曝(ひばく)者を生んでしまった。自分も含めて、原子力について無知だった、真摯(しんし)に見つめるべきだったと反省しています。

 原発は矛盾と差別を前提に存在する。立地場所や使用済み核燃料の行き先がそうでしょ?。被災地を訪ねると、事故はまだ続いていると思う。事故を完全に収束させる技術的なめども立っていないのに原発を輸出しようという動きがある。日本人として恥ずかしく感じる。

 つらい時代に生きてきた人たちが頑張って豊かな日本を築いた。豊かな時代に生まれたわれわれの世代が全部駄目にしていないだろうか。次代を担う子どもたちに負の遺産を押し付け、見て見ぬふりをするのは恥知らず。「あの時、おまえは何をしていたのか」。そう未来の人に問われたら、「やれることはやった」と答えられる自分でありたい。

 ―始球式にどんな思いを込めますか。
 平和に関するイベントに距離を置いてきた。平和のためになるのか、と疑問だったから。被災地での経験で意識は変わった。がれきの中で無力さを感じた。エンターテイナーであるなら、できることをやる。

 広島と福島は切り離すことはできない。「一球入魂」のその魂は、平和と「ノーモア・ヒバク」じゃね。

きっかわ・こうじ
 1965年8月18日生まれ。広島県府中町出身。府中小から修道中・高に進み、高校3年の進級前に退学して上京。84年、映画「すかんぴんウォーク」とその主題歌「モニカ」でデビューした。ことし4月に新アルバム「SAMURAI ROCK」を発表。NHK大河ドラマ「八重の桜」で西郷隆盛を演じるなど俳優としても活躍する。

ヒロシマで芽吹いた思い…あれから6年…「ピース・復興」全国で花開く

広島・福島・静岡 3球場で同時開催 セ・リーグ全球団が賛同

 核兵器廃絶や世界平和への願いを発信するため、2008年にカープの本拠地、広島で始まったピースナイター。6回目を迎えたことしは、セ・リーグの6球団が賛同、8月6日に全国3球場でピース・復興ナイターを開催する。

 広島-阪神戦のあるマツダスタジアムのほか、DeNA-巨人戦の開成山球場(福島県郡山市)と、中日-ヤクルト戦の浜松球場(静岡県浜松市)の3球場である。各球場では、五回終了後に、メッセージを込めた新聞紙などを観客全員で掲げ、平和を祈る。

 福島・開成山球場では、被災地から全国に支援への感謝の気持ちを込めて「ありがとね。福島」と記したメッセージボードを掲げ、復興を願う。

 広島で続けてきたピースナイターでは、11年に漫画「はだしのゲン」の作者・故中沢啓治さんが、12年には被爆者で野球解説者の張本勲さんが始球式をし、核兵器のない世界の実現を願っている。広島から発信し続けたメッセージは、全国で着実に受け継がれている。

ピースナイター
 8月6日か、6日に最も近い試合で、五回終了時、ジョン・レノンの曲「イマジン」に合わせ、観客が緑と赤のピースナイター新聞を掲げる。原爆ドームの高さ25メートルに合わせて「ピースライン」をつくり、平和を祈る。広島東洋カープ、生協ひろしま、広島平和文化センター、広島電鉄、中国新聞社の主催。

企画・制作 中国新聞社地域情報センター
編集 中国新聞社東京支社編集部

(2013年8月5日朝刊掲載)

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