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名将 被爆体験次代に 呉の広島文化学園大野球部 81歳三原監督 「野球だけじゃ、いけん」 力込め

 この時期を迎えると、名将は語り部となる。呉市にキャンパスがある広島文化学園大野球部の三原新二郎監督(81)=広島市中区=は、5歳の時に広島市の己斐(現西区)で被爆。県内外の高校を甲子園へ何度も導き、準優勝の経験もある指揮官は言う。「野球ができるだけの選手じゃ、いけん」(上木崇達)

 5日夕、呉市郷原学びの丘にある同大の球場。三原監督は、練習を終えた選手たち約80人を集めて問い掛けた。「あしたは何の日か。知っとるか」

 そこから、76年前の出来事を語り始めた。友人宅を訪れた瞬間、目の前を覆った真っ白い光。避難した橋の下で見た、やけどして水を求めながら息絶える人々。一家で廿日市市の山奥へ命からがら逃げ込んだこと…。

 傘寿を過ぎ、命の大切さを知るからこそ、若者に精いっぱい生きてと願う。「積極的になれ。努力しよう。失敗したっていいじゃないか」。セミの鳴き声と力のこもる監督の声だけが、山あいの球場に響く。「6日午前8時15分。各自で黙とうをしような」

 1967年夏に母校の広陵高(広島市)を率いて甲子園準優勝。その後、招かれた福井市や京都市の高校で、被爆体験を語り継ぐようになった。「県外の子は原爆について詳しく知らないから」

 社会科の授業で取り上げたり、8月6日に部員と黙とうしたり。監督として2005年夏にも京都外大西高(京都市)を準優勝に導くなど実績を重ねつつ、語り部を続けてきた。

 山陽高(広島市)を経て10年前に着任した広島文化学園大の部員には、県外出身者も多い。「今度、みんなを連れて行かれんかの」。コーチに相談した行き先は、広島市中区の原爆資料館だ。「あの時を語れる指導者は、ほぼいなくなった」。強まる使命感が背中を押す。

(2021年8月7日朝刊掲載)

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