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祈り 松江や江津から 広島原爆の日 被爆者ら慰霊の集い

 米国による広島市への原爆投下から76年を迎えた6日、島根県内でも松江市や江津市で慰霊の集いがあった。被爆者や住民たちが平和と核兵器の廃絶を願った。(寺本菜摘、下高充生)

 松江市学園南の北公園の原爆慰霊碑前では死没者の鎮魂を祈る慰霊祭があった。被爆者や2世たち17人が参列。広島市の平和記念式典の様子をラジオで聞きながら、黙とうをささげ献花した。県原爆被爆者協議会の原美男会長(94)は「今後も慰霊碑を守りながら、核兵器廃絶に向けて活動したい」と述べた。

 17歳の時、原爆投下から4日後に学徒動員先の呉市から広島市に入り、入市被爆した石原隆子さん(93)=松江市宍道町=は「死体の間を縫って歩いた。川にも道路にも死体が並んでいて、何も考えられなかった」と振り返る。「平和がずっと続いてほしい」と静かに手を合わせた。

 同協議会は7日午後3時まで、「原爆と人間展」を松江テルサ(同市朝日町)で開いている。熱線で着物の柄が肌に焼き付いた女性の写真など28枚のパネルを並べた。幼い弟の遺体を背負い立ち尽くす少年の写真に見入っていた浅野敦子さん(76)=同市西津田=も0歳の時、長崎で被爆したという。「いつ見ても痛ましい。核兵器には絶対に反対」と訴えた。

 2013年まで原爆被爆者有福温泉療養研究所「有福温泉荘」があった江津市有福温泉町では、地元の湯町自治会が集会所で追悼式を開いた。住民約15人が午前8時15分に黙とうし、祭壇に折り鶴と花を供えた。

 追悼式は有福温泉荘で毎年開かれていた式を同自治会が引き継いでいる。盆子原温会長(71)は「高齢化が進んでいるが、被爆者を癒やし続けた歴史を大切にしたい」と話した。

 集会所では15日まで、被爆者の証言を基に原爆投下直後の広島の街の様子などを基町高(広島市中区)の生徒が描いた絵画30点を展示。自治会が原爆資料館(同)から借りた。午前9時~午後5時。

(2021年8月7日朝刊掲載)

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