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つなぐ記憶 世界に伝えるのは広島に生まれた者の役目 8・6ドキュメント

小2が英語でガイド/インドの子向けオンライン紙芝居

 0・00 東広島市の墓石販売業山村貴子さん(61)が原爆慰霊碑(広島市中区)に花を手向けた。中区で被爆した祖父は5日後に亡くなった。家族を支えるために若い時から働きづめだった母(93)から「戦争は人を化け物にする」と伝え聞く。「同じ過ちを繰り返してはいけない」と強調した。

 1・30 米国出身で英会話教室講師のロバート・レノンさん(31)=東京都練馬区=は原爆ドーム(中区)を元安橋から撮影。かつて広島に住んでいたこともあり、「世界で広島のイメージは原爆だが、復興して活気があることを世界中の人たちに知ってほしい」

 2・00 原爆ドームそばで中区の派遣社員中岡忠司さん(43)が短歌や俳句を詠んでいた。「黒い雨 認められたと 亡き闘友(とも)の 墓前に報(しら)す 齢(よわい)八十」。2013年に被爆者だった祖母が亡くなったのを受け、毎年続ける。「被爆3世として課された使命」と力を込めた。

 4・05 「鎮魂の思いを込め、毎日ここで線香を供えている」。2歳の時に西区で被爆した雑貨・食料品店経営の信濃克爾さん(78)=中区=がジョギング中に原爆供養塔(中区)へ立ち寄って手を合わせた。

 5・15 新型コロナウイルス対策として平和記念式典会場周辺の入場規制が始まる。

 7・05 広島みらい創生高2年の徳山舞羽さん(16)=佐伯区=が原爆ドーム近くで、被爆の惨状を英語で紹介する動画を撮影していた。留学先のニュージーランドの高校生に伝える。「海外では8月6日を知らない人も多い。伝えるのは広島に生まれた者の役目」と力を込めた。

 8・15 呉市の三津田高1年御堂岡ゆきあさん(16)は原爆資料館(中区)近くで黙とうした。放送部で制作を予定する原爆のドキュメントに向け、8月6日を肌で感じるために訪れた。「平和な時代に生まれたありがたさを同世代に伝えたい」と誓った。

 9・00 平和記念式典会場周辺の入場規制を解除。直後から原爆慰霊碑前に長い列ができた。

 9・30 原爆資料館が開館。東広島市の広島大大学院米田成さん(47)が先頭で入館した。教育指導論を専攻しており、「戦争反対だけでなく、解決策を議論するような教育現場をつくりたい」と意気込んだ。

 10・00 「みんなと仲良くする」「ずっと平和でいてほしい」。原爆資料館近くに並ぶ全国の子どもから寄せられた平和を願うメッセージに、多くの人が見入っていた。

 10・20 平和記念公園の木陰で、中区の横山祐吉さん(83)と妻教子さん(79)が涼んでいた。原爆で両親と姉を亡くした祐吉さん。「年々暑くなって年もとって負担は大きい。それでもやっぱり、ここに来たい思いが上回ります」

 12・15 原爆の子の像のそばで、コーラスグループ生協ひろしま虹のコーラスの20人が伸びやかな歌声を響かせた。近藤まゆみさん(67)=安佐南区=は「みんなの歌声が合わさると大きな歌声になる。平和も力を合わせて訴えないといけない」と話した。

 13・08 中区で最高気温が今年最高の38・0度に達し、5日連続で35度以上の猛暑日となった。6日に猛暑日となったのは3年ぶり。

 13・10 元安橋のそばで、安佐南区の小学2年佐々木駿さん(8)が外国人に原爆の説明をしていた。0歳から英語を始め、この日が「ガイドデビュー」。流ちょうに英語を操り、「広島のことを外国人に知ってほしい」と笑顔で話した。

 15・00 米国出身の詩人アーサー・ビナードさん(54)=中区=が原爆を題材に作った紙芝居「ちっちゃいこえ」を、オンラインでインドの子どもたち約720人に披露した。「世界に発信していきたい」と意気込んだ。

 16・30 元安川のほとりで学生たちが平和をイメージしたモニュメントを作った。三角すいの中央付近に設けた円形の窓から原爆ドームが見える構造。呉高専5年の小田悠人さん(19)=東区=は「言葉では遠く感じる世界平和や核廃絶を身近に感じてほしい」と願っていた。

 18・15 元安川に12個の灯籠が流された。実行委員会が市民から3千個を募る予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大による県独自の集中対策の開始を受けて中止に。石丸良道事務局長(70)=南区=は「数は少ないが、市民の気持ちを代表するつもりで流した」と話した。

(2021年8月7日朝刊掲載)

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