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手合わせ「忘れとらん」 家族5人犠牲 久保さん参列

 家族5人を原爆で亡くした久保陽子さん(82)=広島県海田町=が、平和記念式典に参列した。「元気にやっとるよ」。原爆慰霊碑に近い場所で亡き家族の顔を思い浮かべて静かに語り掛けた。自身は被爆しておらず、これまでの式典は一般席や会場周辺で見守ってきたが、広島県被団協(坪井直理事長)が広島市に推薦し、参列が実現した。

 同市の旧鷹匠町(現中区本川町)にあった自宅は、爆心地から約600メートル。母=当時(35)=と、まだ1歳だった弟の遺骨は焼け跡で見つかった。上の姉=同(15)=も全身にやけどを負い、6日後に亡くなった。「熱かったじゃろうね。忘れとらんよ」。黙とうしながら呼び掛けた。

 建物疎開の作業に動員されていたもう1人の姉=同(13)=の名前は昨年初めて、動員学徒慰霊塔の名簿閲覧で確認。6日も長女の真弓さん(58)と一緒に確かめ、原爆供養塔では遺骨が見つかっていない父=同(45)=に手を合わせた。

 あの日、久保さんは2歳年下のもう1人の弟と、廿日市市の親類方に縁故疎開していた。原爆投下後は父方の祖父母に育てられた。高校卒業を前に受けた就職面接では「なんで親がいないの」としつこく尋ねられた。「『原爆で死んだんです』と大声で叫んだの。差別が許せなくて」。別の企業に入社し、組合で核実験に抗議する座り込みなどの活動も経験した。

 今秋、約15年ぶりに証言活動をする。米軍機が接近する際の飛行機雲が怖かった日々。配給のメリケン粉をこねてパンを焼いた、戦後の生活苦。伝えたいことがありすぎて原稿はまとまらない。「直接の被爆はなくても、原爆がどれほど多くの人を不幸にするか」。家族を奪った原爆の非人道性を、分かってもらいたいと思っている。(桑田勇樹)

(2021年8月7日朝刊掲載)

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