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「黒い雨」 早く救って 「手帳」携え仲間の墓前 40年超す訴え「伝え続ける」

 原爆投下後に降った「黒い雨」を巡る訴訟で政府が上告を断念し、7月末に原告側の勝訴が確定して初めて迎えた原爆の日。心身の苦しみに耐えながら救済を訴え続けた原告たちは6日、広島市中区であった平和記念式典などで、判決確定を見届けることなく先立った家族や仲間をしのんだ。多くの黒い雨被害者の高齢化は進む。一刻も早く、被爆者と認めて―。政府への切実な願いもあふれた。

 墓前に携えた、真新しい被爆者健康手帳の表紙が陽光を反射して輝いた。

 爆心地から約20キロの広島県安芸太田町加計。前田千賀さん(79)=広島市中区=と西村千空さん(77)=安佐南区=の姉妹はこの日、2007年に93歳で亡くなった父花本兵三さんの墓を訪れた。近くにある、原告団の副団長で20年3月に94歳で死去した松本正行さんの墓前にも手を合わせた。

 花本さんと松本さんは戦後、黒い雨を浴びた住民の証言集めに奔走。ともに1978年11月に発足した被害者団体の発起人として、「(訴えが)成就しないと死ねん」と区域拡大の活動に尽力した。「被爆者と認めてもらえたのは父や松本さんのおかげ。判決確定に間に合わなかった人たちの分まで私たちが一生懸命生きていく」。姉妹は2人に感謝し決意を新たにした。

 7月14日の広島高裁判決は昨年7月の一審広島地裁判決に続き、黒い雨が援護対象区域よりも広範囲に降ったと認定。全員を被爆者と認めて手帳の交付を命じた。上告期限を前に菅義偉首相は上告断念を表明し、原告の勝訴が確定した。

 だが、裁判闘争は約6年に及び、松本さんたち19人の原告がこの世を去った。「一緒に喜び合いたかった」。日下武子さん(78)=佐伯区=は、ともに原告に名を連ね、19年7月に84歳で死去した30年来の親友、隅川清子さんに思いをはせた。「それでも今日まで生きることができたんだから、黒い雨のことは次世代にずっと伝え続けにゃいけん。隅川さんならそう言うでしょう」。自らを励ますようにつぶやいた。

 国は原告と同じ事情にあった人の被爆者認定を進めるため、認定基準の指針改定をテーマに県、市と協議する方針を示したが、救済が行き渡る時期は見通せない。「早急な制度設計を」と求める声は多い。

 被爆76年の夏、黒い雨を浴びた人たちによる40年以上にわたる訴えは、原爆被害を国家補償的な配慮で救済するとした被爆者援護法の趣旨にあらためて光を当てた。原告団の高野正明団長(83)=同=は、手帳を手に力を込めた。「全ての黒い雨被害者の救済の道は開かれた。私たちが生き証人だ」(松本輝、山崎雄一)

(2021年8月7日朝刊掲載)

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