×

ニュース

被爆国の責務果たして 条約批准 願い強く

 核兵器禁止条約が1月に発効し、初めての「8・6」。反核を訴え続けてきた人びとは、万感の思いを胸にこの日を迎えた。「核なき世界」を実現していくのはこれからだ―。市民団体や被爆者は決意を新たにし、条約に背を向け続ける日本政府に署名・批准を迫る声を上げた。(田中美千子、新本恭子、小林可奈)

 「最大の核被害を受けた被爆国が全く後ろを向いている。私たちの国を変えることから始めないと」。6日、市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」が広島市中区で開いた「反核の夕べ」。病身を押して駆け付けた共同代表の森滝春子さん(82)は、壇上で声を絞り出した。

 「核をなくすには禁止条約しか道はない」と訴え続け、十余年になる。悲願の実現を「(廃絶の)決定的な機会」と喜びつつ、課題を指摘することも忘れなかった。自国政府の姿勢に加え、材料のウラン採掘に始まる核サイクルの中で、数々の被害者が生み出されている現状に言及。「条約の中身を充実させたい。当事者の意識を持ち、頑張っていきましょう」と訴えた。

 亡き人に条約発効を報告した人もいる。日本被団協の事務局次長、児玉三智子さん(83)=千葉県市川市。「私たちの人生を一転させた核兵器が違法になりました」。両親や弟が眠る中区の墓前でそう語り掛けた。

 児玉さんたち被爆した一家は戦後、生活苦にあえいだ。核被害は付きまとい、児玉さんは就職や結婚でも差別を受けたという。「同じ思いを誰にも味わわせたくない」。その一心で、約40年前から証言活動を続けた。全ての国に禁止条約への参加を迫る国際署名も集めた。それでも動かない自国政府への歯がゆさを募らせる。「本当に安らかに眠れるのは核兵器がなくなった時。それまで歩み続けます」。墓前には、そんな誓いも立てた。

 「76年たっても核の脅威が続いている。じくじたる思い」と漏らしたのは、被爆者で七宝作家の田中稔子さん(82)=東区。6歳の頃、牛田町(現東区)で被爆。語りたくないあの日の体験を13年前から国内外で証言し、次代を担う若者たちとの交流も重ねてきた。

 禁止条約が採択された2017年から批准国を増やすための署名活動も続けてきた。この日は自宅のテレビで平和記念式典を見守り、条約に触れもしなかった菅義偉首相への失望をにじませた。「率先して核兵器廃絶を訴えてほしいと求める国内外の声に耳を傾け、唯一の戦争被爆国としての切り札を無駄にしないでほしい」。そう力を込めた。

(2021年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ