×

ニュース

弟が描いた原爆 対面し涙 二重被爆の福井さん 初参列 「勇気を出して来て良かった」

 広島と長崎で被爆した青森県の遺族代表福井絹代さん(90)は6日、平和記念式典に初参列し、共に二重被爆した弟の相川国義さん=2017年に84歳で死去=をしのんだ。式典後、弟が描いた広島と長崎の「原爆の絵」を原爆資料館で初めて手にし、「当時を思い出す」と声を震わせた。

 福井さんと弟の相川さんは父と3人で1944年に長崎市から広島市千田町(現中区)に転居。父の召集後は、姉弟2人で暮らしていた。「あの日」の8時15分は、庭で洗濯物を干した後、弟と口げんかになり家に入った頃だった。気が付いた時はがれきの下にいて、弟が出してくれた。

 当時14歳と12歳の姉弟は8日、長崎市に向かった。だが9日に到着した古里にも被爆後の惨状が広がり、福井さんは死体を踏んで歩いた。「ぶよぶよとしたあの足の裏の感触を思い出す」と目頭を押さえた。

 スケッチブックなどに相川さんが絵の具やペンで描いた絵は計65枚に上る。制作時期は不明。焼けただれた皮膚を垂らして歩く人、兵隊が焼いていたおびただしい数の死体…。広島と長崎で見た惨状を描写し、メモも記す。福井さんはページをめくるたび、記憶が呼び起こされ涙した。

 福井さんは最近、相川さんが02年に原爆資料館に絵を寄贈していたと知った。「思い出すのが怖い」と被爆地を訪ねるのは避けてきたが、絵を見るため式典に参列した。「勇気を出して来て良かった。若い人にもこの絵を見て、私たちの体験を知ってもらいたい」(高本友子)

(2021年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ