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社説・コラム

社説 東京五輪閉幕 選手たちは頑張ったが

 東京五輪がきのう閉幕した。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)で史上初めて1年延期となった上、開催都市である東京で感染が急拡大したため、無観客という前例のない形で開催されていた。

 緊急事態宣言が首都圏に出される中、選手たちは持てる力の発揮に努めた。その姿に感動を覚えた人もいただろう。とりわけ日本選手の活躍が目立った。過去最多の27個の金を含め、58個のメダルを手にした。

 しかし選手たちを支える組織委員会や日本政府の対応には何度も疑問を感じた。もり立てるべき立場なのに、足を引っ張ってしまった。引き起こした数々の不祥事や、浮かび上がってきた問題の検証が求められる。

 コロナ禍の中、延期は必要だった。ただ1年たっても感染防止対策は効果を上げず、緊急事態宣言下での開催を強いられた。都内の新規感染者が今月、初めて5千人を超えるなど、歯止めをかけられなかった。

 安倍晋三前首相や菅義偉首相が繰り返していた「人類がコロナに打ち勝った証しとして開催する」の言葉がうつろに響く。開催にこだわるあまり、最優先すべき国民の安全安心がないがしろになったのではないか。

 五輪をやるということが人々の意識に与えた影響はある―。政府の感染症対策分科会の尾身茂会長は先週、そんな見方を専門家の考えとして国会で明らかにした。五輪を開く一方で、国民には感染予防策の徹底を呼び掛けても、反発か、気の緩みを招くだけだろう。新規感染者数がかつてなく増えているにもかかわらず、危機感は国民には十分伝わっていない。菅首相をはじめ、政府の責任は重い。

 当初掲げた「復興五輪」を含めて、何のために開催するか、理念も曖昧なままだった。真剣に「復興」を目指すなら、なぜ東日本大震災の被害が深刻な東北3県で開かなかったのか。東京が主会場なのに「復興」を掲げるのは無理があった。

 大会ビジョンの一つの「多様性と調和」も薄っぺらかった。ここ半年、式典の担当者が相次いで辞任した。統括役による容姿侮辱演出の提案や、楽曲担当者による過去の障害者への虐待行為、演出統括者による過去のユダヤ人大虐殺をやゆするコントなど問題が噴出した。共通するのは人権感覚の乏しさだ。組織委の前会長、森喜朗元首相自身が女性蔑視発言で真っ先に辞任に追い込まれたのだから恥の上塗りと言えようか。

 乏しい人権意識は日本政府も同じかもしれない。性的少数者であるLGBTの差別を禁じる法律の制定もままならない。そんな国が多様性を掲げるのだから薄っぺらいはずである。

 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長も薄っぺらさでは似たようなものだろう。先月、コーツ副会長と手分けして広島、長崎を訪れた。被爆地で得た教訓を「平和の祭典」に生かせただろうに広島原爆の日の黙とうも実現できなかった。

 暑さも選手たちを苦しめた。真夏の開催は、巨額の放映権料を払うテレビ局の意向という。「選手第一」とは程遠い。

 健闘した選手たちに応えるために何をすべきか。組織委も日本政府も、そしてIOCも、異例ずくめだった東京大会の反省から始めなければならない。

(2021年8月9日朝刊掲載)

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