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遺品 無言の証人

[無言の証人] 頭部にはり付いていた眼鏡

優しい母 変わり果て

 大きく曲がった眼鏡のフレーム。外れた片目のレンズには無数の傷があり、少し変形している。広瀬元町(現広島市中区)の自宅で被爆死した茂曽路(もそろ)モトさん=当時(54)=の焼けた頭部にはり付いていたという。

 茂曽路さんの四女の佐伯敏子さんは、わが子が疎開していた郊外の姉宅に原爆投下前日から身を寄せていたため、直接被爆は免れた。8月6日の午後から市内に入り、母たち家族を捜し歩いた。

 1カ月後の9月6日、焼け跡に通い続けた影響で急性症状に苦しんでいた佐伯さんに、市内から帰った義兄が風呂敷を差し出した。「母さんはこの中にいるよ」。茂曽路さんの頭部が入っていた。目や鼻は焼け落ち、残ったのは後頭部の一部だけ。ただ、眼鏡は確かに見覚えがあった。

 佐伯さんは、変わり果てた姿に「あの優しい姿はもうかえってこない」とうなだれたという。兄妹を含めて、親族13人を原爆に奪われた。

 助けを求める負傷者たちに何もできなかったことを悔やみ、佐伯さんは平和記念公園(中区)の原爆供養塔に通い詰めた。引き取り手のない約7万人の遺骨に「犠牲者の声なき声を伝えるのが、あの日を知る者の務め」と遺族を捜した。供養塔の清掃を40年以上続け、公園を訪れる観光客や修学旅行生に被爆体験を語った。

 「一人でも多くの人に私ら被爆者と死者の気持ちを知ってもらわなくては」。その信念を2017年に97歳で亡くなるまで持ち続けた。佐伯さんが原爆資料館に寄贈したのは、眼鏡の左半分。母の形見の右半分は墓に納めたという。(新山京子)

(2021年8月9日朝刊掲載)

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