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　「あの日」から６８年目の朝が巡（めぐ）ってきました。１９４５年８月６日午前８時１５分、一発の原子爆弾（ばくだん）によりその全てを消し去られた家族がいます。「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、原爆が炸裂（さくれつ）。無情（むじょう）にも喜びと希望が、新しい『生命（いのち）』とともに一瞬（いっしゅん）にして消え去ってしまいました」

　幼（おさな）くして家族を奪（うば）われ、辛（かろ）うじて生き延（の）びた原爆孤児（こじ）がいます。苦難（くなん）と孤独（こどく）、病に耐（た）えながら生き、生涯（しょうがい）を通じ家族を持てず、孤老（ころう）となった被爆者（ひばくしゃ）。「生きていてよかったと思うことは一度もなかった」と長年にわたる塗炭（とたん）の苦しみを振（ふ）り返り、深い傷跡（きずあと）は今も消えることはありません。

　生後８か月で被爆し、差別や偏見（へんけん）に苦しめられた女性（じょせい）もいます。その女性は結婚（けっこん）はしたものの１か月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端（とたん）、優（やさ）しかった義母（ぎぼ）に「『あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁（よめ）はいらん、すぐ出て行けー』と離婚（りこん）させられました」。放射線（ほうしゃせん）の恐怖（きょうふ）は、時に、人間の醜（みにく）さや残忍（ざんにん）さを引き出し、謂（いわ）れのない風評（ふうひょう）によって、結婚や就職（しゅうしょく）、出産という人生の節目節目で、多くの被爆者を苦しめてきました。

　無差別に罪（つみ）もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛（さいな）み続ける原爆は、非（ひ）人道兵器の極みであり「絶対悪（ぜったいあく）」です。原爆の地獄（じごく）を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。

　辛（つら）く厳（きび）しい境遇（きょうぐう）の中で、被爆者は、怒（いか）りや憎（にく）しみ、悲しみなど様々（さまざま）な感情（かんじょう）と葛藤（かっとう）し続けてきました。後障害（こうしょうがい）に苦しみ、「健康が欲（ほ）しい。人並（な）みの健康を下さい」と何度も涙（なみだ）する中で、自らが悲惨（ひさん）な体験をしたからこそ、ほかの誰（だれ）も「私（わたし）のような残酷（ざんこく）な目にあわせてはならない」と考えるようになってきました。被爆当時１４歳（さい）の男性は訴（うった）えます。「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば戦争を避（さ）けることは決して夢（ゆめ）ではない」

　被爆者は平均年齢（ねんれい）が７８歳を超（こ）えた今も、平和への思いを訴え続け、世界の人々が、その思いを共有し、進むべき道を正しく選択（せんたく）するよう願っています。私たちは苦しみや悲しみを乗り越（こ）えてきた多くの被爆者の願いに応（こた）え、核兵器廃絶（かくへいきはいぜつ）に取り組むための原動力とならねばなりません。

　そのために、広島市は、平和市長会議を構成（こうせい）する５７００を超える加盟（かめい）都市とともに、国連や志（こころざし）を同じくするＮＧＯなどと連携（れんけい）して、２０２０年までの核兵器廃絶をめざし、核兵器禁止条約（じょうやく）の早期実現（じつげん）に全力を尽（つ）くします。

　世界の為政者（いせいしゃ）の皆（みな）さん、いつまで、疑心暗鬼（ぎしんあんき）に陥（おちい）っているのですか。威嚇（いかく）によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪（おとず）れ、被爆者の思いに接（せっ）し、過去（かこ）にとらわれず人類の未来を見据（す）えて、信頼（しんらい）と対話に基（もと）づく安全保障体制（ほしょうたいせい）への転換（てんかん）を決断（けつだん）すべきではないですか。ヒロシマは、日本国憲法（けんぽう）が掲（かか）げる崇高（すうこう）な平和主義（しゅぎ）を体現（たいげん）する地であると同時に、人類の進むべき道を示（しめ）す地でもあります。また、北東アジアの平和と安定を考えるとき、北朝鮮（きたちょうせん）の非核化と北東アジアにおける非核兵器地帯の創設（そうせつ）に向けた関係国の更（さら）なる努力が不可欠（ふかけつ）です。

　今、核兵器の非人道性を踏（ふ）まえ、その廃絶を訴える国が着実に増加（ぞうか）してきています。また、米国のオバマ大統領（だいとうりょう）は核兵器の追加削減交渉（さくげんこうしょう）をロシアに呼（よ）び掛（か）け、核軍縮（ぐんしゅく）の決意を表明しました。そうした中、日本政府（せいふ）が進めているインドとの原子力協定交渉は、良好な経済（けいざい）関係の構築（こうちく）に役立つとしても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません。ヒロシマは、日本政府が核兵器廃絶をめざす国々との連携（れんけい）を強化することを求めます。そして、来年春に広島で開催（かいさい）される「軍縮・不拡散（ふかくさん）イニシアチブ」外相会合においては、ＮＰＴ体制の堅持（けんじ）・強化を先導（せんどう）する役割（やくわり）を果たしていただきたい。また、国内外の被爆者の高齢化は着実に進んでいます。被爆者や黒い雨体験者の実態（じったい）に応（おう）じた支援策（しえんさく）の充実（じゅうじつ）や「黒い雨降雨地域（こううちいき）」の拡大（かくだい）を引き続き要請（ようせい）します。

　この夏も、東日本では大震災（だいしんさい）や原発事故（じこ）の影響（えいきょう）に苦しみながら故郷（ふるさと）の再生（さいせい）に向けた懸命（けんめい）な努力が続いています。復興（ふっこう）の困難（こんなん）を知る広島市民は被災者（ひさいしゃ）の皆さんの思いに寄（よ）り添（そ）い、応援（おうえん）し続けます。そして、日本政府が国民の暮（く）らしと安全を最優先（さいゆうせん）にした責任（せきにん）あるエネルギー政策（せいさく）を早期に構築し、実行することを強く求めます。

　私たちは、改めてここに６８年間の先人の努力に思いを致（いた）し、「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓（ちか）い、原爆犠牲者（ぎせいしゃ）の御霊（みたま）に心から哀悼（あいとう）の誠（まこと）を捧（ささ）げます。

平成２５年（２０１３年）８月６日
広島市長　松井一実（まつい・かずみ）