×

ニュース

遺品の認識票 広島に帰る 旧陸軍暁部隊の船舶砲兵 沖縄で戦死 17日に法要や集い

 太平洋戦争中、広島に拠点を置いた旧陸軍船舶司令部(暁部隊)の船舶砲兵が身に着けていた認識票が、沖縄県で発掘された戦死者の遺品の中にあり、終戦から76年の時を経て沖縄から広島に帰る。現地で遺骨収集を続けるボランティアから依頼を受けた広島経済大(広島市安佐南区)の名誉教授、岡本貞雄さん(69)が、慰霊の法要や集いを17日に南区で開く。

 岡本さんによると、見つかった認識票は縦4・5センチ、横3・3センチの真ちゅう製で楕円(だえん)形のプレート。船舶砲兵第2連隊を示す「船砲二」の所属部隊名や兵隊番号が彫られている。認識票は、個人を確認するためのもので、ひもに通して左脇に肌身離さず着けていたという。

 認識票は、沖縄で遺骨収集活動を長年続けてきた国吉勇さんが、1995年に前田高地(浦添市)で発掘した遺品の中にあったという。今年6月、南区の比治山に陸軍船舶砲兵部隊の慰霊碑があるのを知った沖縄のボランティアが「慰霊碑に納めてほしい」と沖縄戦の戦跡を巡る活動を続けてきた岡本さんに依頼した。

 船舶砲兵は、宇品に拠点が置かれた暁部隊の所属。物資などを戦地に届ける輸送船を守るのが任務だった。兵隊番号を手掛かりに個人を割り出すことができないか、厚生労働省に照会したが特定できなかったため、慰霊碑に納めることになった。

 17日は、暁部隊が戦死者の遺骨を宇品で迎えて遺族に引き渡していた流れを踏まえ、午前9時から同大の学生が南区の宇品中央公園から同区の千暁寺まで認識票を運ぶ。同寺で法要も営む。岡本さんは「沖縄と本土のつながりや、戦争について考えるきっかけにしてほしい」と話している。(石井雄一)

(2021年8月15日朝刊掲載)

年別アーカイブ