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あの日の被服支廠 惨劇語る 被爆者の切明さん 皆実高生が企画

 県立広島第二高等女学校(現皆実高、広島市南区)4年生だった15歳の時に被爆した切明千枝子さん(91)=安佐南区=が11日、段原公民館(南区)で体験を語った。皆実高の生徒会メンバーたちが、校舎近くに残る被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」をよく知る被爆者の証言を地元の子どもたちに聞いてもらおうと企画した。

 切明さんは戦争中、被服支廠などでの作業に動員された。比治山橋の東詰め(南区)付近で被爆。「太陽が目の前に落ちたようだった。すでに橋を渡っていた人は亡くなった。私も死んでいたかもしれない」と説明した。けがをした祖母は被服支廠で手当を受けた。「全身血まみれの人でいっぱいだったと聞いた。まだ外に骨が埋まっていると思う。今も、ごめんなさい、とその上を歩いている気持ち」と話した。

 続いて段原中の生徒たちが質問した。下級生の遺体を校庭で火葬した時の気持ちを聞かれ「感情を失い、ただただ見ていた。自分たちの手で焼いたんです」と語り「平和は向こうからやって来ない。皆で必死に守って」と力を込めた。

 比治山小4年の小林千桜(ちさ)さん(9)は「被服支廠の中にけが人が多く運ばれたことを知ってびっくりした。必ず平和を守ろうと思った」と話していた。

 地元住民でつくる平和グループなどが主催。約40人が参加した。当初は7月30日の開催を予定していたが、切明さんが体調不良で入院したため延期した。皆実高生徒会長の2年金本凜周(りしゅう)さん(16)は「被爆者の声が聞ける最後の世代だと、あらためて感じた。次世代に受け継いでいきたい」と話した。(湯浅梨奈)

(2021年8月17日朝刊掲載)

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