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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 田原直樹 五輪が残したもの

見渡してみても 不安ばかり

 選手のため五輪は開催すべきだと思っていたが、現政権や組織委員会の下では出場者にとって残念な大会になるとも案じ、反対だった。

 それでも始まったので、テレビをちらちら見つつ、その一方で「筆のオリンピック」に浸った。1964年の東京五輪のことである。

 党首討論で聞かれもしないのに、首相が思い出を長々語るくらいだから、いい大会だったのだろう。だが翌年の生まれの私はよく知らない。新旧の五輪を対比し、見てみようと考えた。

 64年五輪が「筆のオリンピック」と呼ばれるのは、新聞社や出版社に依頼された当時の文筆家が観戦記や評論に筆を振るったためだ。

 小林秀雄、石川達三、大岡昇平、平林たい子、遠藤周作、三島由紀夫ら名だたる面々が、開会式やマラソンの円谷幸吉、さまざまな競技の魅力と熱戦を、独自の視点や筆致で描写している。

 阿川弘之「あざやかな攻撃ぶり」有吉佐和子「魔女は勝った」などがあれば、松本清張「憂鬱(ゆううつ)な二週間」をはじめスポーツに関心がない作家の冷めた目もあり面白い。

 64年五輪は日本が国際社会への復帰を誇示するイベントだった。その歴史的意味を考察した人もいる。

 中でも杉本苑子が開会式を、20年ほど前に同じ地で見た出陣学徒壮行会の記憶と重ねてつづる内容が胸を打つ。「同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でいながら、何という意味の違いであろうか」

 さらに杉本は「きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい」とし、祝福の「きょうが、いかなる明日につながるか」と祭典の中で一人、不安を抱く。

 作家たちは閉会後の感慨も記す。五輪が日本人に何を教えたかを問う石原慎太郎は「身心をかけて努め、闘うということの尊さ」と主張。巨費を投じた祭典の「唯一の、そしてかけがえない収穫」だ、と。

 この五輪期間中、ソ連のフルシチョフ失脚や中国の核実験で世界は揺れた。松本清張は大会が華やかでも「世界は一つでなかった」として、五輪精神で平和を進めるというのは「思い上がりにすぎない」と記す。 どの筆も示唆に富み考えさせる。

 新幹線の開業、首都高速の開通、競技施設やホテルの建設ラッシュなど、64年五輪は高度成長期とも重ねられ、夢と希望のあった頃と、ノスタルジックに語られる。

 もっとも当時の東京は、公害をはじめ劣悪な公衆衛生、貧困、汚職、交通戦争など、深刻な問題を山ほど抱えていたのだが。それでも私たちには、「東京五輪成功神話」があるらしい。

 幻想に取り付かれ、再現を狙い、再び招致した。日本選手が続々と金メダルを取れば、世の中は高揚感に沸き、景気が浮揚し、政権支持率も上がる―と、もくろんで。

 福島第1原発は「アンダーコントロール」、猛暑が予想される夏季も「温暖な気候」と虚偽を示してまで招致したのもそのためか。

 しかし新型コロナの感染拡大で、目算は外れた。パンデミックの中で五輪を開催する意義を語れぬ首相は「安全安心」と繰り返した。

 また「呪われた五輪」の言葉通り招致から開幕まで不祥事やスキャンダルが幾つも明るみに。「多様性と調和」を掲げながら、人権意識の低さを露呈し、世界に恥をさらした。

 64年五輪を経て、私たちの社会は成熟してきたと思っていたが、むしろ劣化していたようだ。

 前回の「筆の―」に対し、今回は「SNSのオリンピック」だろう。感動を大勢が発信した。一方で組織委などの大会運営に批判が浴びせられたのは無理もない。看過できないのは、選手への誹謗(ひぼう)中傷だ。ナショナリズムに染まった五輪を商業主義とともに考え直すときだ。

 前回五輪の閉幕後、日本は大変な不況に見舞われた。今回はどうか。コロナ禍の拡大、社会の分断、劣化した政治の行方…。不安ばかりを覚えている。(敬称略)

(2021年8月19日朝刊掲載)

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