×

社説・コラム

『今を読む』 広島大名誉教授 藤野次史(ふじの・つぎふみ) 遺構保存と開発

緊急に「両立」を検討せよ

 今年も、原爆の日、終戦の日が巡ってきた。平和を願う人々の集いが全国で開催されている。まるでこの時期に合わせるかのように、現在広島市中区で発掘調査中のサッカースタジアム建設予定地で大規模な戦争遺跡が姿を現した。

 発見されたのは、旧陸軍中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)の遺構群である。遺存状態はきわめて良好であり、詳細な施設配置・構造・変遷などの解明が期待される。

 広島は、明治時代以来、日本陸軍の重要拠点であった。発見された遺構群は軍都広島における中心施設の一部をなし、具体的な姿を解明できる第一級の歴史資料である。兵舎、倉庫、厩舎(きゅうしゃ)、水場の遺構などからなり、軍馬飼育に関連する施設が良好に遺存している。全国的にも現存例がほとんどなく、きわめて貴重な遺構群といえる。

 発掘調査地は国史跡広島城跡の隣接地にある。周辺には軍事関連遺構および近世遺構が広く遺存すると考えられる場所である。発見された遺構群の重要性からみて、広島城の整備・活用計画の中で緊急かつ慎重に保存活用の検討がなされるべきであろう。

 一方で、スタジアム建設は多くの市民が望んでおり、広島市の活性化、発展に大きく寄与するものである。いずれも重要であるが、果たして、遺跡保存とスタジアム建設、どちらかを選択しなければならないのだろうか。

 諸外国では、遺跡保存と開発を両立させている例は少なくない。例えば、英国ロンドン市の市庁舎内遺跡(古代ローマ闘技場跡)、スピタルフィールズ遺跡(中世の納骨堂跡)などは、建物などの構築物の地下に現状保存し、一般公開している。ギリシャ・アテネのアクロポリス博物館建設では、新石器時代末期から古代の住居群、道路、貯水槽などが発見された。全面的に現地保存して、遺跡の上に博物館を建設。展示の一部として公開し、世界中の人々が見学している。

 日本では、遺跡の上に建物などを建築して保存と開発を両立した例は少ないが、大阪市難波宮跡(飛鳥時代倉庫群ほか)、長崎市勝山遺跡(江戸時代初期のキリスト教教会跡)などの例がある。

 もちろん、遺跡保存の観点からすると、これらの事例はベストの選択ではない。基礎構造を設置することから、一定程度の遺構を壊さざるをえない。

 しかし、破壊を最小限にとどめて遺跡全体の保存を実現し、同時に展示することによって、歴史・文化の保存と振興に大きく寄与している。これらの事例を参考にすれば、今回発見された近代遺構群を保存し、同時にスタジアム建設を行う方法があるのではないか。

 アクロポリス博物館の事例は、相当規模の建物であっても広範囲に遺跡の保存が可能であることを教えている。拙速な結論は避け、十分な時間をかけて内外の英知を広く結集し、将来に向けてプラス思考の議論が必要であろう。

 広島市には、遺構全体の保存を前提に、十分な安全性を確保できる構造のスタジアム設置の検討を強く望みたい。

 輜重隊の遺構群を、調査指導で見た際のスケール感は、写真や模型では決して感じることのできないものであった。これが広島城周辺に設置された旧軍施設の一部にしか過ぎないと思い至った時、広島が巨大な軍事都市であったのだということを、改めて実感した。

 これらを原爆ドームなどと一連のものとして整備・公開し、原爆資料館の展示とあわせて一体的に活用すれば、原爆投下に至る惨禍を立体的に理解することができる。これこそが、広島市が標榜(ひょうぼう)する国際平和都市の実践的な姿ではなかろうか。

 広島市は、遺構を一部切り取って、展示・公開することを表明している。記念碑的な意味はあるにしても、実際の遺構群に立った時の感動を得ることは難しい。市には、遺構群の全面的な保存・活用とスタジアム建設がともになるよう、十分な検討をお願いしたい。

 55年美祢市生まれ。広島大文学研究科博士課程後期中退。博士(文学)。専門は考古学。11年から同大総合博物館教授。20年3月の退職まで学内の埋蔵文化財調査、学芸員養成教育に当たる。著書に「日本列島における槍先形尖頭器」など。 (2021年8月21日朝刊掲載)

年別アーカイブ