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[ヒロシマの空白 被爆76年] 岩下さんに被爆者手帳 東京の100歳 入市被爆の旧陸軍暁部隊員

「証しやっと残せた」

 この夏、100歳の男性が被爆者健康手帳を手にした。東京都調布市の岩下運雄(かずお)さん。広島市で入市被爆したが、同市編さんの「原爆戦災誌」に名前が誤って記されていたことなどから、一度は申請が退けられた。被爆76年の「空白」を埋める形となった手帳交付。申請手続きに関わった大学生の孫は「祖父の体験を語り継がねば」との思いを強くしている。(樋口浩二)

 「被爆の証しがやっと残せた」。今月7日、自宅に届いた被爆者健康手帳。岩下さんはしみじみ語った。

 東京都によると認定は7月15日付。「岩下一夫」と記した原爆戦災誌の誤りを広島市が認めたため、「交付に必要な公的機関の証明が得られた」と判断した。

 岩下さんは戦時中、広島に拠点を置いた旧陸軍船舶司令部(暁部隊)の潜水艇操縦士だった。1945年8月10日ごろから数日間、市内で重症者の救護などに当たったとして、入市被爆者が対象の「2号」に加え、救護活動者などの「3号」にも認定された。

 2019年に東京都へ認定申請した際は、被爆の証拠が不十分とされた。そこで家族が動いた。岩下さんが戦災誌の聞き取りに応じた63年当時に勤めていたのは日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の広島支店。長女の佐和子さん(63)が銀行に照会し、「同音異字の行員は当時他にいなかった」との証明を今春得た。

 佐和子さんの長男蔵人(くろうど)さん(22)=慶応大3年=は祖父の歩みを大学の友人たちに話している。改めて実感したのが自らが被爆3世であること。「僕らの世代は原爆投下の日時すら知らない人が多い。惨禍を繰り返さないためにも、祖父の体験を伝えていきたい」

(2021年8月23日朝刊掲載)

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