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連載・特集

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン⑦

 セルゲイと妻アレキサンドラは1951年に渡米した。セルゲイは、カリフォルニア州の陸軍語学学校で教壇に立ち、同校のロシア語教育プログラム創設に携わった。退職後はバイオリンの指導や趣味の写真に没頭した。セルゲイは69年76歳、アレキサンドラは85年87歳で人生を閉じた。

 娘カレリアは48年渡米し、米国人兵士ポール・ドレイゴと結婚した。渡米直後は「広島で被爆した白人女性」としてマスコミにセンセーショナルに取り上げられたが、その後は沈黙を守った。

 86年、カレリアの元に広島女学院創立百年祭の招待状が届く。被爆時の恐怖を思い出し、ためらったが、広島訪問を決意。級友と再会し、日本語で旧交を温めた。彼女は父の被爆バイオリンを持参し、広島女学院に寄贈した。2014年93歳で亡くなった。

 原爆投下直後、広島を訪れ惨状を目の当たりにした長男ニコライは、戦後しばらく陸軍に残ったが、冷戦下に大きく人生を方向転換した。きっかけは、核戦争を想定して一般市民を対象に行われた避難訓練だった。彼の任務は避難住民を「被爆者」と「被爆者以外」に分類することだった。彼は軍の核兵器への無知に憤り除隊。大学に進学し、核兵器反対運動に参加した。自転車で東京から広島まで「核兵器反対」を訴えながら旅する姿は新聞記事にもなった。広島の原水協世界大会で体験を語った。2003年79歳で没。

 次男デビッドは、朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍後、ロシア正教の輔祭となり、ケニアで活動した。1995年62歳で亡くなった。(元英語教諭=広島市)

(2021年8月24日朝刊掲載)

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