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学校新聞が希望の創刊号保管 広島第一県女の復興伝える

元生徒保管 苦難も記載 公開へ

 1946年8月6日に発行された、広島県立広島第一高等女学校(現皆実高)の学校新聞の創刊号を当時の在校生が保管していた。同校は生徒、教職員計301人が原爆の犠牲になり、いまの広島市中区中町にあった校舎は全焼した。被爆から1年後に生徒がつくった紙面は、戦時中と異なる自由な空気に包まれた校内の様子や、焼け野原から立ち上がる苦難を伝えている。(田中美千子)

 縦55センチ、横39センチで表裏2ページの「広島第一県女新聞」。雑誌部の生徒が取材、執筆し全校生徒に配った。「軍国主義的図書を一掃した図書室も設けられ、『声』と言ふ投書箱も出来た」「敗戦による生活苦と食糧難、交通難、道義の退廃。私たちは是等(これら)幾多の難関を乗り切り向上の一途をたどっている」―などと書いている。

 「あの日」と題する生徒の被爆体験記もある。「みかん色の雲がまるで悪魔の姿の様にむくむくと伸びて行った」。こう書いたのは西区の藤川素子さん(81)。2年生の時、学徒動員先の高須町(現西区)の工場で被爆した。「作文は友人に頼まれて書いた。その後、被爆体験は長年封印してきた。読み返すと胸が痛い」と話す。

 創刊号は、同じく2年生で被爆した佐伯区の吉田佳枝さん(82)が自宅の物置に保管。昨年8月、同窓会「皆実有朋会」に寄贈した。当時20歳の姉を原爆で亡くした吉田さんは「新聞が出たころは、まだ心の傷が癒えない時期だった。でも、仲間と再び学べる喜びも感じていた」と記憶をたぐる。

 学校新聞は、学制改革に伴って48年に校名が広島有朋高に変わるまで、同じ題字で14号まで発行した。皆実有朋会は創刊号をホームページで近く公開する予定。資料収集・継承担当の一人、大野久美子さん(66)は「新たな時代に踏みだした先輩方の様子を伝える資料。後世に残したい」としている。事務局Tel082(254)1290。

(2013年8月6日朝刊掲載)

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