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ハワイ移民の歴史 次世代に 広島の川崎さん、30年の調査 本に 明治から昭和 国内外の公文書・新聞 収録

 広島市南区のハワイ移民資料館「仁保島村」館長、川崎寿(ひろし)さん(78)が「ハワイ日本人移民史」を自費出版し、研究者や海外から注目を浴びている。30年にわたり国内外で探し出した膨大な公文書や写真、新聞記事などを収録した労作だ。広島、山口をはじめ全国からハワイに渡った人々の足跡を明らかにした。(西村文)

 本は全10章で構成。日本人移民が初めてハワイに渡った1868(明治元)年から、第2次世界大戦を経て米国籍取得が認められた1952(昭和27)年までをたどる。掲載した資料は、これまで世に出ていなかったものも多い。川崎さんがハワイの日本総領事館、東京の外交史料館や国会図書館、横浜市の海外移住資料館などを訪ね歩いて集めた。

 川崎さんが住む仁保地区は明治時代、多数の住民がハワイに渡った。父も移民で、日米開戦以前に帰国。川崎さん自身は日本で生まれ育ち、ハワイには親族がいる。「次世代に移民の歴史を伝えたい」と資料の収集を始め、1996年に「仁保島村」を開館した。

 1885(明治18)~94年、財政難にあった明治政府が主導した「官約移民」時代、広島県からは全国最多の約1万1千人、山口県からは約1万人がハワイに渡った。川崎さんは父が移民だったことに誇りを持ち、「移民は棄民政策であった」という通説を否定する。数々の資料を読み解き、「明治政府は官約移民の送金・持ち帰り金に期待し、現地での労働条件改善にも積極的に関わっている」と棄民説に反論する。

 川崎さんはまた、官約移民時代に次々と創刊された日本語新聞に着目。「ハワイ移民が力を合わせて自由と権利を獲得していった歴史が浮かび上がる」と話す。

 中でも物価が高騰していた1908(明治41)年、「布哇(ハワイ)日日新聞」が移民労働者の賃金を上げるよう主張。これに賛同した農場労働者がストライキを決行し、待遇改善につながった。第1次世界大戦後の21年には、ハワイ政府が制定した外国語学校取締法に対し、日本語学校が違憲訴訟を起こし、6年かけて勝訴した。

 原爆からの復興を広島県出身者が支援した詳細も新聞にみえる。「布哇報知」によると、50年までに11万3千ドルの寄付が広島に送金され、母子寮や乳児院などの整備に充てられた。「将来日本を訪れる外国人は必ず人類史上最初の原爆経験地である広島を見学するに違いない」。「布哇タイムス」の主筆だった相賀安太郎のコラムは先見性を感じさせる。

 日本人移民史に詳しい飯田耕二郎・元大阪商業大教授は「これだけの資料を網羅した本は、ほかに見当たらない。研究者向けに出典を明記した改訂版を出してほしい」と望む。ブラジルの日本語新聞「ニッケイ新聞」も6月29日号で川崎さんの本と移民資料館を特集した。

 川崎さんは「日本社会は多国籍の人々との共生が課題となっている。ハワイ移民の歴史を学び、その英知から学んでほしい」と出版に込めた思いを語る。

 A4判、247ページ。4180円。広島市中区の丸善広島店と紀伊国屋書店広島店で販売中。インターネットのアマゾン、仁保島村のホームページからも注文できる。仁保島村☎082(286)6331。

(2021年8月25日朝刊掲載)

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