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社説・コラム

天風録 『「泣き虫の闘士」逝く』

 怒りに震えながら国を批判した。苦しみをさらす被爆者の思いを代弁してはこらえきれずに涙した。泣き虫の闘士。そんな姿ばかりが思い出される。原爆症認定集団訴訟を全国原告団長として率いた山本英典さん。今月8日に88歳で亡くなった▲原爆の日の9日は絶対嫌だったろうと仲間は言う。12歳のとき長崎で被爆。上京して大学を卒業後、政党機関紙の記者などを経て被爆者運動に身を投じる▲病気は原爆のせいだとして援護する原爆症認定。その基準の実態は切り捨ての物差しだった。被爆者は老いを深め、自身も60歳を過ぎ大病を患った。集団訴訟を貫いたのは原爆で失われた命、暮らし、心への国家補償を求める信念からだろう▲こうと決めたら一直線。東京・八王子の霊園に共同墓「原爆被害者之墓」を建立したときもそう。後々の管理を心配する声もあったが、「差別にさらされ、必死に生きた被爆者が安らかに眠れる場所に」と押し切った▲身寄りがなかったり合葬を望んだりした被爆者と家族52人が眠る。〈われら/生命(いのち)もて/ここに証(あか)す/原爆/許すまじ〉。傍らの碑に刻まれた言葉のごとく生きた山本さんの遺骨もモミジの色づく頃、納められる。

(2021年8月26日朝刊掲載)

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