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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 特別論説委員 佐田尾信作 「太陽の子」が問うもの

科学者の使命感か 自責の念か

 広島にとって悲しい日は9月にもやってくる。1945年9月17日、当時の大野陸軍病院(廿日市市)が枕崎台風に伴う土石流に遭い、156人の犠牲者を出す。京都大原爆被害調査班の人たちも11人いた。

 ことし春、京大調査班が残した健康調査票の実物を広島大医学資料館で見る機会があった。あり合わせの紙に手書き。焦土の広島で、住民の白血球まで調べていることに使命感を感じずにはいられない。だが彼ら自身にも災難が及ぼうとは―。

 京大調査班には日本の原子核物理学の草分け、荒勝文策のグループが参加していた。公開中の映画「太陽の子」のモデルである。一見すると京都を舞台にした青春群像劇の趣だが、戦時の研究者たちが命懸けで続けるのは原爆の基礎研究だ。それは荒勝が海軍から依頼され「F研究」の符丁で呼ばれた。fission(核分裂)の頭文字だという。

 俳優柳楽(やぎら)優弥演じる「石村」は荒勝門下の清水栄がモデル。彼の日記は「広島県史 原爆資料編」に一部収録され、広島壊滅の報に「U(ウラニウム)の核分裂の応用ならずや?」と驚いている。敗戦後、原子核研究に必須のサイクロトロン(円形加速器)を占領軍が破壊した事実も詳述し、憤りを隠していない。

 「太陽の子」の石村は仲間に「実験ばか」と呼ばれる。窯元に頭を下げて重金属の釉薬(ゆうやく)を入手し、核分裂を起こすウラン235を取り出そうとするのだ。そのため遠心分離機の開発に心血を注ぐが、回転数を上げると危険で、室内に土のうを積んで見守る羽目に。むろん映画だけに演出はあろうが、大統領命令によって科学者ら13万人を動員し、原爆の製造にこぎ着けた米国の「マンハッタン計画」には及ぶべくもない。

 現実のF研究は2000年以降、明らかになっていく。占領軍に接収された研究メモなどが米国側で発見され、荒勝らの遺品の調査が日本側で進んだためだ。荒勝の流れをくむ京都大名誉教授政池明の大著「荒勝文策と原子核物理学の黎明(れいめい)」(京都大学学術出版会)が一つの集大成だろう。NHKのドキュメンタリーやドラマをベースにした映画も、政池の知見に負うところは大きい。

 一方で荒勝の真意も明らかになった。「(原爆研究という名目で)若い研究者たちが徴兵を免れることができ、原子核物理学の研究を続けられるという考えもあったようである」と政池は述べている。映画でも陸軍に志願した学生を荒勝が手を回して除隊させるシーンがある。

 8年前、広島高等師範学校(現広島大)付属中の「科学学級」同窓会を取材した折のことを筆者は思い出した。科学学級は米国に勝つための新たな「発明」を求められ、湯川秀樹まで関与した戦時下の計画。かつての学徒の一人が「あのような特別な形でしか、もはや教育らしいことはできなかったのではないか」と語ったことが印象に残っている。

 立命館大教授(メディア史)の福間良明に「太陽の子」について思うところを尋ねた。福間は「さまざまな社会の欲望によって科学技術が利用されるさまが描かれていて興味深い。今の大学と軍事研究の関係にも通じるのではないか」と言う。

 「太陽の子」では壊滅した広島に入った荒勝たちも描かれる。想像を超えた未知のエネルギーに恐れおののく石村。映画の結末は明かせないが、やがて信じ難い行動を取ろうとする。それを聞いた母親は、恐ろしいことを―と怒りに震えるものの、科学者の息子を持った母親の責任という重い言葉も口にする。映画の作り手のメッセージでもあろう。

 敗戦の間際に日本の海軍が朝鮮半島で原爆の実験に成功していた―と米紙が報じたことがある。捏造(ねつぞう)も甚だしいが、米国では今なお亡霊のように漂う言説だという。日本の「原爆開発」が実用化に程遠かったことは占領軍の公電も認めている。

 戦時下の科学者は意外にクールだった。だが学問と人材を守る使命感から、あえて軍部の命に従う。それでよかったのか。自責の念にかられた人もいただろう。戦後、清水は第五福竜丸の被曝(ひばく)が水爆実験によることを突き止め、核兵器廃絶を訴え続けたと伝えられる。(文中敬称略)

(2021年8月26日朝刊掲載)

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