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社説・コラム

天風録 『アフガンに「命のビザ」を』

 戦前、日本人として初めてアフガニスタンで農業を教えたのは山口県人だった。その人、尾崎三雄(みつお)が残した写真は1冊の本に編まれ、戦火とは無縁だったアフガンを今に伝えている▲そこには麦打ちする遊牧民がいて灌漑(かんがい)水路で遊ぶ子らがいた。今では物語になったキャラバンサライ(隊商宿)や王朝時代の陵墓も見て取れる。尾崎は3年間異境で身を粉にし、国境の町に着く。それは犬に追われた幼子が母の腕で眠るような安堵(あんど)の心持ちだったと述懐していた▲今、かの国からの脱出を願う人たちの心持ちを察してみる。米軍は引いたが、日本をはじめ各国に協力したアフガン人は置き去りに▲紛争解決の実務家、伊勢崎賢治さんは「命のビザ」発給を日本政府に強く求めている。日本大使館は閉じていてもスマートフォンでやりとりする手段は残っているそうだ。その上で隣国への出国や民間機の到着に備える。日本の務めは自衛隊機派遣で全て終わったのではないはず▲81年前、日本の外交官たちは「命のビザ」でナチスの魔手からユダヤ人を救った。彼らの良心は今もたたえられる。いにしえに悠久の時が流れていたアフガンに、今は日一日と人道の危機が迫っている。

(2021年9月1日朝刊掲載)

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