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ルポ「ヒロシマ」75周年で討論会 被爆者への寄り添い 評価

 米国人ジャーナリストのジョン・ハーシーが被爆地を現地ルポした「ヒロシマ」の発表から75周年を記念するオンライン討論会が、1日あった。日米のメディア関係者と研究者が、作品の報道的価値や現代社会における意義を語った。

 アメリカン大のピーター・カズニック教授が、ニューヨーカー誌に掲載された1946年8月当時の米国社会を解説。「国民の85%が原爆投下を支持していた。大半が日本人を人間と思わず、原爆投下を核時代の恐怖としてだけ捉えていた」と述べ、被爆者に焦点を当てた報道を評価した。

 エミー賞の受賞歴があるテレビプロデューサー、ソリー・グラナトスタインさんは「人種差別は米国社会にとって長年の病巣だが、中国で育ったハーシーは違っていた」とし、取材姿勢を生い立ちから分析。米在住フリージャーナリストの津山恵子さんは「原爆投下から9カ月後、わずか2週間の滞在で被爆者に寄り添った。勇気があり、偉大だ」とたたえた。

 ハーシーの孫のキャノンさん(44)たちが代表を務める米国のNPO法人「1Future」が企画した。討論会の様子は動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開している。(桑島美帆)

ハーシーの孫キャノンさんに聞く

人間描く報道にこだわり

共に平和考える場 広島で再び

 ルポ「ヒロシマ」の著者ジョン・ハーシーの孫でアートを通じた平和発信活動「ゼロプロジェクト」に取り組むキャノン・ハーシーさん(44)=米ニューヨーク州=に、芸術家として祖父の思いを受け継ぐ表現活動や、被爆地への思いについてオンラインで聞いた。(桑島美帆)

 ―8月末で出版から75年がたちました。自身が祖父の作品を読んだのはいつでしたか。
 12歳のころ、祖母に薦められて読んだ。残酷な光景が浮かび上がり、恐怖にさいなまれた。同時に、登場人物が日常生活にいる近所の住民や親戚のような身近な人に感じ、一気に読んだ。

 ―取材体験について、生前に語ってもらったことはありますか。
 私も父も、直接聞いたことはない。2015年前後にエール大の図書館で、祖父が残した大量の直筆資料を調べた。ジャーナリストとしてのプロ意識を感じた。語ろうとしなかった背景には、登場人物一人一人の言葉を文章から直接感じ、追体験してほしいという読者への思いがあったのではないか。また、広島を歩いて悲惨な体験を聞いたことで、トラウマ(心的障害)を抱えたのかもしれない、と思うことがある。

 ―原爆のおかげで敵国との戦争に勝ったと米国民が喜びに沸いた時期に、大きな波紋を呼ぶ出版でした。
 実はニューヨーカー誌が発行される2日前、祖父は妻と幼い子ども3人を連れて郊外に身を隠した。祖父はヒューマンストーリーを書くことにこだわったが、非常に危険なことだった。家族関係が大きく変わるきっかけとなった。後に祖父母は離婚するなど、さまざまな代償を伴った。

 ―作品の現代社会へのインパクトについては、どう感じていますか。
 新型コロナウイルスの感染拡大や大災害など、人びとは日々の困難に直面しており核問題に関心を集めることは難しい。しかしそんな時こそ、人間同士の関わりや、被爆者がどう生き抜いたかを記録した優れたジャーナリズム作品を世界中で、特に若い人たちに読んでほしい。

 ―広島国際文化財団の支援で2017年から4年間「ゼロプロジェクト」に取り組みましたね。
 若い世代と、アートや討論を通じ、核問題に限らず人権問題や気候変動など、現代社会が抱えるさまざまな課題を考えるイベントを開いてきた。平和な社会を築くには、共に考える場をつくり、人びとを巻き込むことが重要だからだ。これまで広島を28回訪れた。行く度に希望や再生を感じ、第二の古里と思うようになった。オンラインでプロジェクトを続けているが、コロナ禍が収束すれば必ず再訪したい。

(2021年9月6日朝刊掲載)

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