3団体、別々に平和集会 連合・原水禁・核禁 「新たな形」模索へ
13年8月7日
連合は5日、核兵器廃絶を訴える「平和広島集会」を広島市中区の上野学園ホールで開いた。被爆60年の2005年から昨年までは原水禁国民会議、核禁会議と手を組んで大会を開いてきた。福島第1原発事故を受けた「脱原発」と「原発推進」という路線対立から、3者別々に大会を開く事態になった。
平和広島集会には約2千人が参加した。連合の南雲弘行事務局長はあいさつで、分裂問題には触れず、核兵器廃絶を目指す決意を表明した。海外の労働組合代表のあいさつや被爆者の証言など、集会の内容は昨年をほぼ踏襲。原水禁、核禁のあいさつがなかったことが大きな違いだった。
もともと原水禁、核禁会議の原発に対する考えは両極だった。決裂は脱原発を主張する原水禁側が昨年の大会で「核と人類は共存できない」とあいさつしたことが発端だった。
電力各社や製造業の労組でつくる核禁会議は「原子力の平和利用」を否定されることを嫌った。連合に対し「3団体で今後開催するのは困難」と申し入れる引き金になった。
3団体は協議を重ねたが、原水禁は脱原発で強硬な姿勢を崩さず、連合の単独開催となった。原水禁、核禁とも分裂を「残念」と表向きは表現するが、関係修復は難しい。
原水禁の川野浩一議長は4日に中区の広島グリーンアリーナで始まった原水爆禁止世界大会の広島大会で「良い核も悪い核もない」と述べ、核禁を暗に批判。広島大会は5日、分科会があった。
一方、核禁広島県民会議の島田勝行議長は5日、中区のリーガロイヤルホテル広島での広島全国集会で「一緒にやろうとすれば条件を核兵器廃絶や被爆者支援に絞らざるを得ない」と原水禁の姿勢に疑問を投げ掛けた。
連合は、単独主催を機に新たな集会の形を模索する。集会に先立つ記者会見で、南雲事務局長は「3団体主催に戻すつもりはない。NPO法人や非政府組織(NGO)も入れて行動する計画を練りたい」と語った。(藤村潤平、野崎建一郎)
原水禁国民会議と核禁会議は、原発へのスタンスで違いがあっても核兵器廃絶と被爆者援護のために手をつないできた。決裂が決定的になった背景には、原発の再稼働や技術輸出に前のめりな安倍政権の存在がある。
「折り合いを探り、連携するのが運動というもの」。被爆者や平和団体関係者の一部は、被爆60年の2005年から続いた「共闘」の解消を残念がる。関係を取り持ってきた連合に取りなしを期待する声もある。
そんな中で、原水禁が「脱原発」の主張を一層強めるのは、原発推進の姿勢を鮮明にする安倍政権への反発からだ。成長戦略には、原発の活用や輸出促進が盛り込まれた。
核禁は、運動の柱である「原子力の平和利用の推進」に確信を深めた。両者の溝はもはや埋めがたくなった。
被爆者や関係者の間には、突き放した見方もある。「フクシマに目をつぶって、ノーモア・ヒバクシャとはいえない」
福島第1原発事故から2年5カ月。原発政策は、昨年末の政権交代で転換した。原水禁と核禁の決裂は、「核の火」をめぐる根源的な問いをはらんでいる。(藤村潤平)
(2013年8月6日朝刊掲載)
平和広島集会には約2千人が参加した。連合の南雲弘行事務局長はあいさつで、分裂問題には触れず、核兵器廃絶を目指す決意を表明した。海外の労働組合代表のあいさつや被爆者の証言など、集会の内容は昨年をほぼ踏襲。原水禁、核禁のあいさつがなかったことが大きな違いだった。
もともと原水禁、核禁会議の原発に対する考えは両極だった。決裂は脱原発を主張する原水禁側が昨年の大会で「核と人類は共存できない」とあいさつしたことが発端だった。
電力各社や製造業の労組でつくる核禁会議は「原子力の平和利用」を否定されることを嫌った。連合に対し「3団体で今後開催するのは困難」と申し入れる引き金になった。
3団体は協議を重ねたが、原水禁は脱原発で強硬な姿勢を崩さず、連合の単独開催となった。原水禁、核禁とも分裂を「残念」と表向きは表現するが、関係修復は難しい。
原水禁の川野浩一議長は4日に中区の広島グリーンアリーナで始まった原水爆禁止世界大会の広島大会で「良い核も悪い核もない」と述べ、核禁を暗に批判。広島大会は5日、分科会があった。
一方、核禁広島県民会議の島田勝行議長は5日、中区のリーガロイヤルホテル広島での広島全国集会で「一緒にやろうとすれば条件を核兵器廃絶や被爆者支援に絞らざるを得ない」と原水禁の姿勢に疑問を投げ掛けた。
連合は、単独主催を機に新たな集会の形を模索する。集会に先立つ記者会見で、南雲事務局長は「3団体主催に戻すつもりはない。NPO法人や非政府組織(NGO)も入れて行動する計画を練りたい」と語った。(藤村潤平、野崎建一郎)
【解説】決裂招いた「原発政策」
原水禁国民会議と核禁会議は、原発へのスタンスで違いがあっても核兵器廃絶と被爆者援護のために手をつないできた。決裂が決定的になった背景には、原発の再稼働や技術輸出に前のめりな安倍政権の存在がある。
「折り合いを探り、連携するのが運動というもの」。被爆者や平和団体関係者の一部は、被爆60年の2005年から続いた「共闘」の解消を残念がる。関係を取り持ってきた連合に取りなしを期待する声もある。
そんな中で、原水禁が「脱原発」の主張を一層強めるのは、原発推進の姿勢を鮮明にする安倍政権への反発からだ。成長戦略には、原発の活用や輸出促進が盛り込まれた。
核禁は、運動の柱である「原子力の平和利用の推進」に確信を深めた。両者の溝はもはや埋めがたくなった。
被爆者や関係者の間には、突き放した見方もある。「フクシマに目をつぶって、ノーモア・ヒバクシャとはいえない」
福島第1原発事故から2年5カ月。原発政策は、昨年末の政権交代で転換した。原水禁と核禁の決裂は、「核の火」をめぐる根源的な問いをはらんでいる。(藤村潤平)
(2013年8月6日朝刊掲載)