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社説・コラム

『潮流』 富山さんのまなざし

■論説委員 森田裕美

 5年前に見た鮮烈な赤が、脳裏によみがえってきた。身を引き裂かれるような痛みを伴って。

 100歳を前に、先月世を去った富山妙子さんの油彩画「始まりの風景」のことである。原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)で開かれた個展で対面した。日本の戦争責任を問い続けた画家が、少女時代を過ごした旧満州(中国東北部)の大地を表現した大作。支配者の側にいたという苦い記憶と共に心に刻まれた原風景なのだという。

 富山さんは神戸に生まれ、父の転勤で旧満州へ渡る。中国人を奴隷のごとく扱い、朝鮮人を目の敵に…。戦渦で大人たちの理不尽な行動を見てきたからだろう。戦後は「芸術とは何か、何のために描くのか」を自問しながら社会問題に切り込む。炭鉱から南米、アジアへとまなざしを広げ、植民地主義や戦争による癒えない傷を表現し続けた。

 個展には「終りの風景」と題した作品も出展されていた。やはり赤が印象的なこの絵は、中央に異様な形の塊が描かれ、遠景にはきのこ雲や福島第1原発を思わせる崩壊した建屋が配されている。

 どんな思いを込めたのか。富山さんに尋ねると、「終わりを感じる」と警告のように電話口で語った。戦争がもたらした他者の痛みに向き合うことなく、経済大国への道を突き進んだ日本社会の姿を嘆いていた。

 〈あの戦争によって殺されていった「無告の人びと」に代わって、戦争責任を追求しぬくことが、戦中に生き、被害者であり、加害者であった私の生命の完結ではないか〉

 訃報に接して読み返した著書にはそうつづられていた。

 ことしは満州事変から90年、日米開戦から80年の節目でもある。歴史の暗部から目をそらさない―。言葉通りに生きた富山さんのまなざしが、私たちを厳しく照射している。

(2021年9月4日朝刊掲載)

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