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平和担う 己斐小/南小/大州小

 68年前の夏、原爆(げんばく)や空襲(くうしゅう)によって、たくさんの人たちが犠牲(ぎせい)になりました。戦争の悲惨(ひさん)さを学び、平和への思いをさまざまに表現(ひょうげん)している小学生たちを紹介(しょうかい)します。(西村文)

己斐小 広島市西区

ろうそく包む絵に願い

 にっこり笑顔、七色に輝(かがや)く虹(にじ)、緑あふれる地球、仲良く手をつなぐ子ども…。広島市西区の己斐(こい)小では2000年から8月6日の夕方に、原爆(げんばく)で亡(な)くなった人たちに祈(いの)りをささげるセレモニーを開催(かいさい)。児童らが「平和」をイメージして描(えが)いた絵で約100本のろうそくを包み、夕闇(ゆうやみ)の広がる校庭にともします。

 68年前の夏、爆心地(ばくしんち)から約3キロの同小は救護(きゅうご)所となり、少年少女を多く含(ふく)む約2千人がここで亡くなったそうです。児童たちは当時を知るお年寄(としよ)りや、被爆(ひばく)2世の芸術(げいじゅつ)家から話を聞き、どうすれば戦争や核(かく)兵器がなくなるかを考えました。

 「みんなが笑顔になれば、きっと平和が訪(おとず)れる」と話すのは、3年の伊礼碧(いれい・あおい)さん(8)。ニコニコ顔がいっぱいの世界をカラフルな色使(いろづか)いで表現(ひょうげん)しました。

 同学年の松前智己(まつまえ・ともき)君(9)は「スポーツで戦えば仲良くなれるよ」と大好きなサッカーや野球を題材に。「核の犠牲(ぎせい)になるのは人間だけじゃない…」。5年の伊礼遥(いれい・はるか)さん(11)は東日本大震災(しんさい)に伴(ともな)う福島第1原発事故(じこ)に思いを寄せ、被災地(ひさいち)に咲(さ)くヒマワリを描きました。

南小 福山市

朗読劇 空襲の記憶継ぐ

 「今から68年前、福山の街が戦争で焼けてしまったことを、知っていますか」。福山市明治町の南小の児童9人が、9日午後2時から県民文化センターふくやまで上演(じょうえん)される朗読劇(ろうどくげき)に出演(しゅつえん)。当時の子どもになりきって、戦争の悲惨(ひさん)さを訴(うった)えます。

 劇のタイトルは「星に願いを~昭和二十年あの日のあの時」。福山空襲(くうしゅう)の記憶(きおく)を語り継(つ)ごうと、市民グループが11年前から上演しています。今年は南小の児童のほか、大人や中学、高校、大学生たち計30人が出演します。

 「イモの苗(なえ)持て!」。南小であった練習では児童たちが、戦争中の日常(にちじょう)生活をきびきびと演(えん)じていました。食料不足で、小学校の校庭を耕(たがや)してイモ畑にしたのだそうです。

 福山空襲は1945年8月8日の夜、アメリカ軍の91機の爆撃機(ばくげきき)が約1時間にわたって爆弾(ばくだん)を落とし、300人以上が犠牲(ぎせい)になりました。焼けた田んぼの中で、お母さんと体を寄(よ)せ合って亡(な)くなった子どももいました。

 出演する藤沢丈琉(ふじさわ・たける)君(11)は「どんな思いで戦争をしていた時代を生きていたのか、観客に伝わるように演じたい」と話しています。

大州小 広島市南区

カンナの花 希望ロード

 真夏の日差しに負けず、燃(も)えるように咲(さ)く赤い花―。原爆(げんばく)投下直後の焼け野原に咲き、広島市民を勇気づけたと伝わるカンナです。広島市南区の大州小の児童たちは通学路の大州通りに植え、夏休み中も交代で水やりなどの世話をしています。

 学校からマツダスタジアムまでの約1・5キロの通りで、花はちょうど盛(さか)りを迎(むか)えています。2008年から毎年、6年生が校庭の花壇(かだん)で栽培(さいばい)。今夏は平和への思いを地域(ちいき)に広げようと、16カ所の花壇に苗(なえ)80本を植えました。「カンナロード」と名付け、オリジナルの歌もできました。

 丸木菜緒(まるき・なお)さん(12)は「水やりを頑張(がんば)って、元気なカンナの姿(すがた)を見てもらいたい」と張(は)り切っています。「この町で カンナの希望を咲かせたい」「未来にね カンナの花を つなげよう」。それぞれの花壇には、児童たちの俳句(はいく)も掲示(けいじ)しています。

(2013年8月6日朝刊掲載)

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