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連載・特集

緑地帯 大上充子 広島俳句今昔 <8>

 広島市中区の平和記念公園にある原爆慰霊碑。毎年亡くなられた方々が原爆死没者名簿に納められている。

 夫の両親は被爆者だ。父は「弟を捜しにすぐ横川へ出掛けた」と言っていたぐらいで、亡くなるまで原爆について話さなかった。あまりの悲惨さに耐えられなかったようだ。母は96歳まで生き、死没者名簿に書き加えられた。

 被爆75年。被爆者の苦しみを知らない世代が多い時代となった。俳句仲間に平和記念公園で語り部活動をしている人がいる。修学旅行生や旅行者に、親族の被爆体験を語り、平和がいかに尊いことかを伝えている。

 8月6日に広島市が催す平和記念式典に10年間参加する東京大の名誉教授がいる。1週間前後、広島に滞在して地域の子どもたちと平和学習をしている。昨年8月、広島俳句協会が開いた平和祈念俳句大会の後に1時間半、投句した被爆者たち10人と対談する機会を設けた。

 原爆を風化させないために、文芸に関わる私たちは、俳句を通して平和を願い、核廃絶を訴え続ける一市民でありたい。原爆ドーム前の元安川は、ドームの姿を映し、紅葉した木々を映しながら流れている。

 「旅人の空蟬を置く学徒の碑」
 「夫に子に会ひたし母の原爆忌」
 「爆心の川黄昏るる流燈会」

 今年は新型コロナウイルスの影響で、平和祈念俳句大会を開くことができなかったが、多くの俳句仲間と一緒に平和を祈り、五七五を詠い続けていきたい。(広島俳句協会事務局長=広島市)=おわり

(2020年11月19日朝刊掲載)

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