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連載・特集

緑地帯 西井麻里奈 声を読みとく④

 広島の戦後復興の歴史を調べるに当たり、区画整理と立ち退きを巡る地域住民の陳情書に引かれたのには、少し経緯がある。

 太平洋戦争末期、現在の秋田県大館市で、いわゆる「花岡事件」が起きた。花岡鉱山で過酷な労務と絶望的な飢えを強いられた中国人労働者が蜂起し、逃亡を図ったのだ。捕まった中国人たちは、拷問、虐待で多くの死者を出した。

 戦後、中国人への虐待に関わった人物がBC級戦犯裁判にかけられる。その際、地域住民は助命を求めて嘆願書を提出した。そこに描かれる、被告人の善き人物像。だが、殺された中国人は顧みられない―。大学の先輩が、地域と花岡事件との関係を嘆願書から研究していて、それに接したのが一つの動機になった。

 構図は異なるが、戦後の広島における数々の陳情書も、原爆と戦争が奪ったものを語るだけではなく、復興の過程に生じた「顧みられる者」と「顧みられない者」との分断を浮き彫りにする。

 「広島復興大博覧会」が開かれた1958年の前後、広島駅や、平和記念公園に近い川辺のバラックに、復興の「遅れ」を見いだすまなざしが注がれた。戦災者や朝鮮半島出身者が多く住んだバラック街の光景は、新たな「平和都市」にふさわしくないとされたのだ。陳情には、現地からの立ち退きにあらがう内容も、逆に早急な再開発を求める内容もある。

 「市民一丸となって平和都市をつくってきた」という単線的な歴史像は、市民とは誰で平和とは何なのか、この街で問われ続けたことを見えなくしてしまう。(現代史研究者=大阪府)

(2019年3月9日朝刊掲載)

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