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連載・特集

緑地帯 西井麻里奈 声を読みとく⑤

 戦後広島の復興に伴う立ち退きは、住居に困っていた貧窮者だけでなく、土地持ち、家持ちだった者にも苦悩をもたらした。

 ある男性は、被爆前に母の土地に、基礎のしっかりした家を建てたという。それが原爆で壊され、母も亡くなる。被爆後、勤務先の都合で家を転々とし、落ち着ける家が早く欲しくて、また元の土地に無理をして家を建てた。

 ところが、区画整理のために立ち退きを迫られる。陳情書には、母と暮らした被爆前の思い出を取り戻そうとするかのように、土地家屋を守ろうと躍起になった様子がうかがえる。

 この陳情を読んだ時、「水になった村」(大西暢夫監督)という、岐阜県の徳山ダムに沈んだ村の暮らしを撮った映画を思い出した。山の豊かな恵みと共に生きてきた老いた女性が、移転先の街で暮らす中で、徳山の家がもうないことを「忘れて」しまう。

 居たい場所から切り離され、心が弱ったのか、現実から心を守ろうとしたのか。住み慣れた家が目の前で壊され、その瞬間に涙を流したのに、家がなくなった事実は記憶からストンと落ちていた。

 被爆前の建物疎開、原爆被害、被爆後の復興―。広島の人々は、ごく短期間に幾つもの家の破壊を経験し、そのたびに、さまざまな感情が去来したはずだ。

 帰る場所を奪われ、うまく回復できない事態は、人が場所に生き、それを失うことの意味を問うてくる。その痕跡を広島の街角に探ることは、人の居場所を奪う「力」について、他の国や地域も視野に考えることにも通じる。(現代史研究者=大阪府)

(2019年3月12日朝刊掲載)

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