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緑地帯 西井麻里奈 声を読みとく⑦

 戦後日本の復興は、経済の視点で捉えると1950年代中盤には一段落する。戦災復興事業への国の補助が打ち切られるのが59年。広島市では、58年に「広島復興大博覧会」が開かれた。

 だが、沖縄史研究者の屋嘉比収は、冷戦体制下、広島を含む日本本土の<復興>と、朝鮮半島などの局地的な<戦場>状態、本土が独立を回復した52年以降も続いた沖縄の<占領>状態が、同時に起こっていたことに注意を促した。冷戦の「あちら側」の戦場や占領が、「こちら側」の復興を支えたという指摘である。

 そして、地域に目を凝らせば、小さな、しかし一人一人の人生を左右する問題が、広島では復興の過程の「立ち退き」という形で起こっていた。納得する人、歓迎する人もいれば、納得できない人、悲嘆に暮れる人もいた。復興を遂げた「本土」である広島の街にも、顧みられない「あちら側」は抱え込まれていた。

 近年、広島県と広島市が連携して進めたという「ひろしま復興・平和構築研究事業」の報告書を読み返してみる。「おわりに」と題した結論部分でそれは、戦後広島の再開発が「住民との摩擦」を生んだことに触れつつも、市民一人一人の「平和都市広島の一員」としての自覚が復興を実現させ、根付かせているとする。

 こうした言葉は、「平和国家としての復興」という戦後日本の像に寄せて、「こちら側」の広島像を描き出すようだ。しかし私は、「摩擦」という一言で済まされている「あちら側」に誰が生きたのか、その声を聞きたい。(現代史研究者=大阪府)

(2019年3月14日朝刊掲載)

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