×

連載・特集

緑地帯 「学都広島」の残像から 小田智敏 <1>

 毎年8月6日、世界に向かって平和を訴える広島が「軍都」であったことは、現在あまり触れられなくなったように思われる。

 広島は1894年に始まる日清戦争時、宇品港から軍隊を送り出し、武器弾薬・被服・食糧などの物資を供給する兵站(へいたん)基地として整備され発展した、紛れもない軍都である。ただ、軍都というものを、軍事一色に染められた都市と考えると勘違いをしてしまう。

 中沢啓治「はだしのゲン」を読むと、広島はもともと市民に自由のない暗い町だった、という印象を抱くかもしれない。しかし、だとすれば、ゲンの父親はどうして「非国民」呼ばわりされる反戦主義者になったのだろうか。

 ゲンのモデルが中沢本人であったように、ゲンの父親も彼の父・中沢晴海がモデルであり、家業の塗り師を継ぎながら、左翼系の劇団でゴーリキーの「どん底」などを演じたらしい。

 軍都に集まるのは軍人や武器弾薬ばかりではない。さまざまな物資を生産供給するためには多くの労働者が要る。娯楽、文化も入ってくる。そこに、当局の歓迎しない思想思潮も紛れ込む。軍都に左翼系の劇団があったり無政府主義者がいたりしても何の不思議もないのである。

 近刊の東琢磨・川本隆史・仙波希望編「忘却の記憶 広島」という本に、「軍都=学都としての広島」という一文を書かせてもらった。軍都広島を、学問の場としての側面から素描しようと試みた。(おだ・ともはる 大学講師、哲学研究=広島市)

(2018年11月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ