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連載・特集

緑地帯 「学都広島」の残像から 小田智敏 <7>

 戦後広島を代表する倫理学者で、1953年から広島大教授を務めた森滝市郎。多くの仲間と共に追求したのは、原爆被害を国家が行った戦争に起因すると国に認めさせ、国家として補償させることだった。その要求に立ちはだかったのが、国の主張する「身分関係論」と「均衡論」だ。

 原爆被害に遭った市民と国との間には軍人、軍属のような国との身分(雇用)関係がなかった、原爆被害者にだけ国家補償を行えば一般戦災者との均衡が破れる、というのが国の主張である。被爆者援護を「社会保障」の枠内にとどめようとする発想といっていい。

 言うまでもなく森滝は、国家補償の精神に基づく原爆被害者救済にこだわり続けた。そこには、戦時中に「皇国教育」の一端を担ったことへの深い内省もあったに違いない。

 一方で私は、例えば69年7月の参議院社会労働委員会で森滝が参考人として述べた意見に、戸惑いを覚えることも明かしておきたい。被爆者援護を議題としたこの委員会で、森滝はまさに「社会保障から国家補償へ」の転換を政府に迫るのだが、その論理の道筋は、原爆被害に代表される莫大(ばくだい)な犠牲があって終戦になった、平和憲法も国民に受け入れられた、原爆被害者のそうした貢献に「平和文化国家」は応え、償うべきだ、というものだ。

 森滝はこの場で、被爆者を「人柱」にもなぞらえている。国の主張を突き崩すための論理だとしても、ここには、恩師・西晋一郎の国体学や忠孝論の残響のようなものが聴こえないだろうか。(大学講師、哲学研究=広島市)

(2018年12月8日朝刊掲載)

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