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連載・特集

緑地帯 パレスチナに学ぶ 田浪亜央江 <7>

 トランプ米大統領は昨年12月、エルサレムをイスラエルの首都と承認すると発表し、今年5月に大使館をテルアビブからエルサレムへ移した。移設を定めたエルサレム大使館法は1995年に米議会で成立していたが、歴代の大統領は署名を拒否していた。既存の法律に署名するだけで、支持基盤であるキリスト教右派層の歓心を買えるのであれば、彼にしてみればお手軽な策だったろう。

 もともとエルサレムは、国連決議では国際管理下に置かれることになっていた。イスラエルが48年に西エルサレムを統治下に置いて建国宣言したこと自体が決議違反だ。だがイスラエルは67年、さらに東エルサレムを占領し、軍事力で「統一」したこの町を一方的に首都とした。

 エルサレムからのパレスチナ人追放や、多様性にあふれた街の暴力的な「ユダヤ化」は、ずっと以前から進行していた。エルサレムに住み続けること自体を日々の闘いとして生きてきたパレスチナ人の状況は、注目されてこなかった。トランプ大統領の無思慮な行動でにわかにこの都市が注目されたのは、実に皮肉である。

 多くのパレスチナ人は、東エルサレムを将来のパレスチナ国家の首都と主張している。それは全く正当なことだが、筆者自身はそうした言い方はしない。

 どこの国にも属さず、住民たちが互いにルールを決めて共存する都市のあり方は、かつてのエルサレム社会の記憶として残っている。現在の息詰まる世界の中で、そうした都市のあり方の可能性は手放してはならないと思う。(広島市立大准教授=広島市)

(2018年8月28日朝刊掲載)

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