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連載・特集

緑地帯 パレスチナに学ぶ 田浪亜央江 <8>

 大学の授業でパレスチナ人が難民となった経緯を説明すると、学生のコメントに「パレスチナ人が犠牲になったのは気の毒だが、ユダヤ人が国を持てたのは良かった」という内容のものが必ず出てくる。「国を持つこと」を無条件に良いことだとする思い込みの強さには、あらためて驚く。

 中東を研究していると、西欧起源の国民国家というあり方に疑念を持たざるを得なくなる。さまざまな宗教を信じる人々がこの地域で共存していた時、現在のような国境は存在しなかった。

 私たちがこの「共存」に抱くイメージ自体、既に国民国家に制約されたものだ。例えばエルサレムはよく、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒の聖地であり、彼らは以前は平和的に共存していた、などといわれる。しかし、かつてのパレスチナ各地には一神教信仰とは別に、土着の「聖者」信仰が存在していた。特殊な力を持つと信じられた人物の墓などが、病を癒やすといった効能をもたらすとあがめられたのだ。

 そうした素朴な信仰と絶対的な「神」とを、ともにゆるく受け入れていた人々は、〇〇教徒といったアイデンティティーを特に意識してはいなかった。宗教・宗派の違いを意識させ、別々の集団として統治したのが、英国などによる植民地政策であった。

 中東は、西欧近代が他の地域に押し付けてきた国民国家の枠組みに対する抵抗の最前線であり、あり得たかもしれないさまざまな歴史の可能性を示唆してくれる場所なのである。(広島市立大准教授=広島市)=おわり

(2018年8月29日朝刊掲載)

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