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連載・特集

緑地帯 軍歌の本を書いた理由 小村公次 <2>

 私は6人きょうだいの末っ子で、父は1903(明治36)年生まれである。その父が、軍歌はもちろん普通の歌を歌うのも、私は聞いたことはなかった。覚えているのは、謡曲のようなものを唸(うな)っていたことで、子どもの頃はそれが何だかよく分からなかった。

 ところが、拙著を読んだ次姉が手紙をくれて、父が昔大きな声で歌っていたのは軍歌で、〽雪の進軍、氷を踏んで~というのが十八番(おはこ)だったと教えてくれた。

 次姉が若い頃の父を知っているのは当然としても、父が軍歌を歌っていたのは初耳だった。もっとも手紙には「お父さんの歌を聞き覚えで私も歌っていて、あとでその節がとんでもない調子はずれだったことがわかった」と書いてあったので、妙に納得した。

 調子外れにせよ、父が歌っていたのは「雪の進軍」という軍歌で、作詞作曲は陸軍軍楽隊の永井健子(けんし)(のち軍楽隊長)である。発表は1895年。日清戦争の時、雪中で飢えや寒さで苦しんでいる兵士のことを歌ったもので、当時から大ヒットした。

 詩人の萩原朔太郎は「町の音楽を聴て」というエッセー(「文学界」1935年11月号)で「昔、日清戦争が起つたとき、文部省は多くの軍歌を作つて生徒に教へ、且(か)つ兵隊にもそれを教へた。だが兵隊も子供たちも、一つもそんな軍歌を唱はなかつた。彼等が悦(よろこ)んで唱つたのは『雪の進軍』といふ軍歌であつた」とし、「歌詞、曲調、共に哀切悲調を帯びた音楽だつた」と書いている。実に鋭い指摘であり、父もこの軍歌を喜んで歌っていた一人だったのである。(音楽評論家=千葉県)

(2018年6月2日朝刊掲載)

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