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連載・特集

緑地帯 軍歌の本を書いた理由 小村公次 <6>

 軍歌といえば、パチンコ店から流れてくる「軍艦マーチ」を思い浮かべる方も多いと思う。私もそうだった。ところが執筆当時、実際に近隣のパチンコ店を調べてみたら、皆無とはいえないまでも、ほとんどの店で「軍艦マーチ」は流していなかった。意外だった。

 甥(おい)にパチンコに強いのがいて、彼に事情を聞いてみると、「今どき『軍艦マーチ』なんか流していたら、お客は来ませんよ」。女性客を取り込むためのイメージ戦略などで、音楽もJポップや洋楽へと様変わりしたのだという。

 パチンコ店で「軍艦マーチ」が流れるようになったのは、1951(昭和26)年春に東京の有楽町駅のガード下で開業した「メトロ」というパチンコ店が最初とされる。オーナーは復員軍人の田中友治で、まだ占領下だった街を進駐軍の兵士たちが日本の女性と腕を組んで歩く姿に憤りを覚えた彼は、腹いせに「軍艦マーチ」を大音量で流したという。

 それを聴いた交番の巡査が飛んで来て「待った」をかけ、MP(米陸軍の憲兵)の本部にお伺いを立てると、あっさりOKになったという。こうして全国各地のパチンコ店で「軍艦マーチ」が流れるようになった。気分高揚の効果は絶大で、パチンコ店のシンボルのような音楽となった。

 一方、この対極に位置する軍歌が「戦友」で、戦前から愛唱され、戦後も歌い継がれてきた。広く歌われるきっかけは、62年に労音(勤労者音楽協議会)の例会で歌手のアイ・ジョージが〝反戦の思い〟を込め、14番まである歌詞を全曲絶唱したことだった。(音楽評論家=千葉県)

(2018年6月8日朝刊掲載)

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