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連載・特集

緑地帯 軍歌の本を書いた理由 小村公次 <7>

 「戦友」が作られたのは日露戦争末期で、作詞は真下飛泉、作曲は三善和気である。この軍歌が愛唱されたのは、「軍律きびしい中なれど/これが見捨てて置かれうか」という歌詞にあるように、軍律と、人として守るべき道との激しい葛藤の描写や、その葛藤を超えて戦友を抱き起こす主人公への共感の故だったと思う。

 しかもその旋律は、都節(みやこぶし)音階という日本の伝統音楽をベースにした哀感あふれる響きで作曲されていた。このため、第2次世界大戦中は厭戦(えんせん)歌という烙印(らくいん)を押され、歌うことを禁じられてしまった。

 この「戦友」を、一少年が直立不動で歌う場面が、小栗康平監督の映画「泥の河」に出てくる。原作は宮本輝の小説で、舞台は1955(昭和30)年の大阪。川に浮かぶ廓(くるわ)舟で暮らす少年喜一は、仲良くなったうどん屋の息子信雄の家に遊びに行き、そこで歌うのだが、それを信雄の父晋平は身じろぎもせずに聴く。終わると晋平は「その歌、どこで覚えたんや?」と聞く。すると喜一は「近所にいてた傷痍(しょうい)軍人のおっさんが教えてくれてん」と答える。

 映画でこの場面を見た時、私は深い感慨とともに、少年時代のことを思い出していた。私の出身は松江市だが、白衣の傷痍軍人がアコーディオンを弾きながら軍歌を歌うのを聴いたことがある。

 今振り返ってみると、軍歌を聴いたのは学校でも家でもない。繁華街や天神さん(白潟(しらかた)天満宮)のお祭りで、傷痍軍人が弾いているのを聴いたのであった。何とも物悲しい響きだったことをはっきり覚えている。(音楽評論家=千葉県)

(2018年6月9日朝刊掲載)

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