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連載・特集

緑地帯 巣山ひろみ 創作することの喜び <6>

 物語はいつ生まれるかと質問されることがある。答えは「わからない」である。こっちが聞きたいのである。生まれる場所や時間がわかるなら、茂みに潜んで何時間でも待とう。でも、そんな辛抱も努力も、たいがい裏切られる。

 7年前、「おばけのナンダッケ」(国土社)を書いた。人の考え事を食べるナンダッケという名前のおばけの話。ナンダッケが生まれた瞬間をおぼえている。ある日、玄関でくつを履こうとかがんだとたん、ひらめいた。「ナンダッケ」と名前がついて、考え事を食べるおばけだと、頭に浮かんだ。

 知り合いの個展で月をモチーフにした大皿を見たときの感動や、たまたま見ていたテレビのテロップに、衣に乗った龍の姿が浮かび(襲という漢字)物語が生まれたこともある。

 しかし、たいていは考えても考えても浮かばない。そんなときは通りすがりの神社で「書けますように」と、お願いする。「童話作家になる方法」という本を読む。グーグルに、「書けない」と泣き言を打ち込む。不毛である。

 先輩作家たちは、スラスラお書きになるのだろうなと思っていたら、血反吐(へど)をはきそうだとか、から雑巾をしぼるようだとかおっしゃって、なんだかホッとした。

 まれに、創作という名の海に、スッと水をかきわけて、しなやかにもぐることのできたときの気持ちよさ。書いていると、そんな瞬間が奇跡のように訪れることがある。知ってしまうととりこになる。七転八倒しながら創作を続ける全国の同志も、きっとそうなのではないかなと考える。(児童文学作家=広島市)

(2020年10月10日朝刊掲載)

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