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社説・コラム

『潮流』 渋沢栄一の足跡

■岡山支局長 伊東雅之

 放送中のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公、渋沢栄一について知ったのは25年ほど前、意外にも韓国史に関する書籍によってだった。

 「日本資本主義の父」と呼ばれ、金融、交通、電力など国内のさまざまな産業の礎を築いた渋沢。1899年、朝鮮半島初の鉄道として開通するソウル―仁川間、そしてソウル―釜山間の路線開設でも主導的役割を果たした。日清、日露戦争で、兵たん基地だった広島と戦場になった朝鮮半島の関係などを調べる中で目にした名前だった。

 岡山に赴任した昨年、その渋沢が幕末期に現在の井原市を訪ねていたと聞いて興味が湧いた。維新後の国内産業をけん引した人物だけに倒幕派との接触でもあったのかと思いきや、幕府側の一員としての訪問だったという。当時、彼は最後の将軍徳川慶喜を出した一橋家の家臣で、井原は一橋家の西日本最大の所領になっていた。訪問は、鉄砲隊を組織する農兵の募集のためだった。

 滞在中、領民の子弟が通う郷校、興譲館の初代館長で漢学者の阪谷朗廬(ろうろ)と当時の時勢を論じ合ったり、笠岡でのタイ網を見に行ったりしたエピソードも残る。親交は維新後も続き、渋沢が揮毫(きごう)した校名の扁額(へんがく)は、その名を継ぐ興譲館高に今も掲げられている。

 身近な地域での足跡に、渋沢への興味はさらに増し、関連資料をひもといていくと、かつて井原―笠岡などに路線があった井笠鉄道、中国電力の前身の一つ、広島水力電気の設立や経営に携わっていたことなども分かった。

 渋沢は、2024年から発行される新1万円札の肖像画にも決まっている。この機会に日本国内だけではなく、周辺国にも及んだ彼の足跡に目を向け、わが国が歩んだ近代の歴史を、さまざまな視点から振り返ってみてはどうだろうか。

(2021年9月14日朝刊掲載)

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