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海軍兵だった父 記録に面影 広島の汐中さん「考課調査表」を保管

「常ニ献身的努力」「模範的人物」

 広島市南区の汐中浩樹さん(74)は、海軍兵だった父義夫さん(1978年に61歳で死去)の軍歴表とともに「考課調査表」を大切に保管している。日本が敗戦を受け入れた直後から、日本軍は大量の戦時中の文書を焼いており、防衛研究所(東京)の戦史研究センターによると秘密文書だった人事評価書類の現存は珍しいという。

 「職務ニ熱心ニシテ 常ニ献身的努力ヲ致シ 人物技量共ニ抜群ナリ」「稀ニ見ル模範的人物」。年季の入った茶色い考課調査表に書かれた義夫さんの評価だ。「新兵修業時」の成績は165人中1位。何事も熱心に取り組む姿が浮かぶ。「思想的要注意ノ必要ヲ認メズ」とも記す。

 大野村(現廿日市市)で船大工の三男として生まれた。38年に20歳で呉海兵団に入団。終戦時は海軍工作兵曹長。戦争史料に詳しい広島経済大の岡本貞雄名誉教授(69)=東広島市=は「昇進は驚く早さ。大変優秀」と分析する。

 39年、船の修理などをする木工員として「鈴谷(すずや)」での任務に就く。大和ミュージアム(呉市)によると、戦艦や航空母艦を護衛する重巡洋艦で、ミッドウェー海戦などに出撃した。連合艦隊が事実上壊滅したフィリピン・レイテ沖海戦で、44年10月に沈没。800人以上の乗組員のほとんどが亡くなった。義夫さんは、病気のため前年に下船して入院していたため助かった。

 戦後は家具製造会社を創業し、多くの顧客の信頼を得た。仕事にまい進する一方、「戦争のことをほとんど語りませんでした」と汐中さん。激戦地で鈴谷が沈み、多くの元同僚が亡くなったことへの思いがあった、とおもんぱかる。

 しかし中学生の頃「大切なものだから預かってほしい」と、考課調査表と軍歴表を手渡された。義夫さんは、軍関係の文書の焼却作業中、自身に関する書類を持ち帰っていたという。

 資料を引き継いだ汐中さんは、破れた箇所をテープで補強して金庫に保管してきた。60年ぶりに昨年取り出すと、すっかり色あせていたため、精巧な複製版を作成した。「書類にある『米国及英国ニ対シ宣戦布告』の文字に、むごい戦争が本当にあったと実感した。父の記録を孫たちに残したい」(湯浅梨奈)

(2021年9月14日朝刊掲載)

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