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連載・特集

緑地帯 神内有理 文化の地層 観古館 <2>

 西洋絵画の優れたコレクションで世界的に知られる大原美術館(倉敷市/昭和5年開館)に行ったことのある人は多いだろう。尾張徳川家の名宝を所蔵する徳川美術館(名古屋市/昭和10年開館)も、美術好きにはつとに名高い。

 では、かつて大原美術館と並び称され、しかも大原美術館や徳川美術館よりも、はるかに早く開館した美術館が広島にあったことを知る人はどれだけいるだろうか。その美術館を観古館という。大正2年、旧広島藩最後の藩主・浅野長勲(ながこと)(1842~1937年)が、浅野家伝来の名宝を一般公開する目的で設立した私立美術館である。しかし、75年前の原爆投下により、その姿は完全に失われた。

 これまで観古館については、ともに広島県立美術館出身の倉橋清方氏や村上勇氏が顕彰に努め、特にその設立時期の早さを強調してきた。確かに、美術館・博物館が5700館以上ある今とは違い、観古館が設立された大正2年においてその数は極めて少ない。

 日本の博物館の歴史は、明治5年に文部省博物局が湯島聖堂大成殿で開催した文部省博物館(東京国立博物館の前身)にさかのぼる。また、明治30年に制定された古社寺保存法により、明治末から大正初期には、神社や寺院の宝物館が多数作られた。私立美術館の場合、神戸の造船王・川崎正蔵による川崎美術館(明治23年開館/昭和14年神戸市に売却)をはじまりとして、大倉集古館の前身・大倉美術館(明治32年開館)が存在した以外に知られたものはなく、観古館は全国的に先んじた美術館であった。(広島県立美術館主任学芸員=広島市)

(2020年8月21日朝刊掲載)

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