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連載・特集

緑地帯 岡村有人 私の比治山 <1>

 私が生まれ育った広島の比治山。その頂上にある展望台からデルタを眺める時、ある種の無常感に襲われることがある。展望台が建設中の1953年秋だった。この場所から街を背景に、母と5歳下の弟と3人で写った1枚の写真が、わが家の写真帳に残っている。私は小学1年生だった。

 セピア色をしたバラックの家々がモザイク模様のオブジェとして山裾まで広がり、広島の復興を鳥瞰(ちょうかん)するには格好の場所であった。背後にはデルタを囲む山々。何より印象的なのは、カラーではないにもかかわらず、その山の端を境として広島を包む、どこまでも深い青を思わせる秋空だった。

 この空の下には京橋川があって、川に架かる木造りの鶴見橋を東の終端とする幅広い道は、まだ舗装も植樹もされておらず、緑地帯がこれから完成する道路を青写真のように浮き彫りにしている。バラックが無秩序に描くモノクロームの街並みを大きく割って走るこの未完の道路が、これから起きる一連の復興事業と希望に満ちたイベントを予感させていた。

 皆実高、広島大を経て25歳で広島を離れるまで、私はよくこの場所に立った。47年という時によって熟成された故郷は今、心の中ではあの当時の強烈なイメージとして化石と化しているのかもしれない。今たたずむ展望台から望む広島湾は街の合間を縫って辛うじて顔を出すにとどまっている。展望台はと言えば、空を射抜く高層ビルに圧倒されて肩身が狭そうだ。(おかむら・くにと 東京皆実有朋会会長=東京都)

(2019年4月19日朝刊掲載)

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