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連載・特集

緑地帯 岡村有人 私の比治山 <2>

 比治山とその周辺の街は戦後大きく変わった。平和大通りの東の端を飾るにはあまりにもみすぼらしかった私の記憶にある幅の狭い木造りの鶴見橋。それが広い橋となって京橋川を渡り、更にその先の比治山をトンネルで突き切ってつながった。比治山に穴を開けることは私には耐えがたいことだったが、比治山も時代とともにその存在意義を問われている証しであろう、と無理やり納得した。

 1950年代の夏の風物詩が比治山から見た元安川の花火だった。当時は高いビルがないから比治山は格好の観覧席であった。むろん今では元安川で花火大会を行うこと自体が無理であり、比治山は広島の空を望むにはあまりにも低すぎる。そんな市民の身近な憩いの場の役割からバトンを受け継いだのが、現代美術館やまんが図書館を中心とする新たな「平和の丘構想」なのであろう。

 これらの建物とその一帯は今でも見事に整備されている。だが、私が何度か訪れた折には閑散としていたし、段原地区からの屋外エスカレーターによるアクセスもその役割をほとんど果たせていない。もったいないと思った。

 平和の丘構想は比治山単独では成立しえない。平和記念公園、平和大通り、平和の丘を包括する企画こそが平和都市広島をいっそう魅力的なものにし、この街の世界に向けた発信力を増すであろう。比治山から望む平和大通りに沿って一直線に平和公園へと東から西に走る軸線は、平和の祈りの象徴と呼ぶにふさわしいポテンシャルを感じさせる。(東京皆実有朋会会長=東京都)

(2019年4月20日朝刊掲載)

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