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連載・特集

緑地帯 岡村有人 私の比治山 <3>

 爆心から1・6キロの昭和町で被爆した両親は九死に一生を得た後、親戚知人の家を転々とする戦後数年であったが、幸運にも比治山の麓に土地を見つけた。市内でありながら、北面が山で子どもを育てる環境に恵まれていることが購入の動機であったという。疎開していた母の着物が土地代金の大きな部分を占めた。進駐軍の軍人がドルで買ってくれたのだ。

 これが比治山と、それに抱かれたこの土地が私の故郷になるきっかけであった。山麓に建てたわずか50平方メートルほどの手作りのわが家。両親にとって被爆から足かけ4年、私が満2歳になった年の家族史に刻まれる一大イベントだったのである。

 周りには視野を遮る建物はなく、太陽は東の山の端から出て西の山に沈む。山の端から顔を出す秋空の満月が大きく輝く。そんな夜の比治山の麓の虫たちの鳴き声は、幼子の耳には不思議な子守歌であった。

 物心つくと、わが家から少し離れた、雑草が生い茂る原野の先には何があるのか、知りたくて仕方がなかった。子供の好奇心は大航海時代の冒険心にもつながる本能的なものであろう。

 そんな折、比治山の麓を東に行くとちょっとした荒れ地があって、そこには子供の冒険心をくすぐる比治山からの地下水が湧き出る池や湿地があった。更にその東には貝塚があり、小学校でそのことを習うと発掘隊のまねごとをやってみた。今になって思えば小さな山ではあったが、比治山は子どもたちの冒険心を育み、無限の遊び場を提供してくれた。(東京皆実有朋会会長=東京都)

(2019年4月23日朝刊掲載)

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