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連載・特集

緑地帯 岡村有人 私の比治山 <5>

 小さな山にもかかわらず比治山には木々がうっそうと茂っていた。学校が終わると、子どもたちはのこぎりとナイフを持って山に入る。秘密基地を造って、そこで少年探偵団や宝探しの作戦を練るのだ。食べ物も十分にない時代であったが、団塊世代の私たちは空腹を忘れて遊びを創り出し、自然を相手に無心に戯れた。

 すごいと思うのは、小さな自然を大自然に見立てて遊ぶことのできる子どもの想像力である。当時の比治山はまだ都市と自然が共存する時代の小山であったから、そこに生息する動物も植生も山里をほうふつさせるものがあった。わが家の裏山には時折イタチが出没して目と目が合うことが往々にしてあったが、凶暴な性格にもかかわらず愛嬌(あいきょう)のあるまなこには、愛着の念を持ったものである。

 当時の遊びの中に「六むし」という狭いところでもできる球技があった。「矢じるし」という遊びもあった。2チームに分かれて一方が矢印を地面に引きながら逃げて、しばらく時間をおいて、もう一方がこれを追いかけて逃げたチームの所在を当てるというものもあった。まだ舗装されていない道だからできたのだが、比治山もその舞台となった。このように体を使う遊びは、私たちの体力増進に役立ったとも思える。

 小学生の頃のもう一つの比治山の思い出と言えば、夏休み早朝のラジオ体操だ。早起きを強いられる、この学校からの宿題は、子どもたちにとって結構厄介者であったが、自宅から体操広場に着くころには眠気も吹っ飛んで、そこは子どもの社交場と化していた。(東京皆実有朋会会長=東京都)

(2019年4月25日朝刊掲載)

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