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連載・特集

緑地帯 岡村有人 私の比治山 <8>

 広島を離れて47年。その間ずっと比治山は私の故郷であり続けたし、これからも変わることはない。今日の「国際平和文化都市」広島の姿はこま送りの映像のように鮮烈でもあり、また一方で少なからぬ閉塞(へいそく)感を感じてもいる。

 クラシック音楽が趣味の私は、ベートーベンの連作歌曲集「遥(はる)かなる恋人へ」を聴くとき、若かりし頃、比治山の天狗(てんぐ)岩に座った時のことを重ねてしまう。この歌の主人公の若者は丘に座してそこから見える山、谷、空、雲、花、そして西風に託して愛をうたう。かつて訪ねたドイツのボン郊外のリゾート地・ケーニッヒスヴィンターから見下ろしたライン川とボンの街に同様なものを感じた。

 最近訪ねたフィレンツェの丘から見渡せる花の街にも、サンタンジェロ城の屋上から見たローマの街にも、静かに息づく時の流れを感じた。もはや比治山の展望台に立ってこのような思いに浸ることは無理ではあるが、「平和の丘」構想にいちるの望みを託したい。

 最近広島駅に降り立ってまず感じることは、海外からの旅行者が増えたことだ。健全な経済の発展は都市機能の根幹をなすものであるが、それに加えて広島には大切なミッションがある。

 広島はもはや広島市民だけのものではない。この地を訪れる世界の人々を優しく包んで平和への思いを共有する、そんな役割を担っている。世界的に内向きのナショナリズムが台頭する今日、広島が果たすことのできる役割は大きいことを忘れてはなるまい。東京五輪を明年に控えてそう思う。(東京皆実有朋会会長=東京都)=おわり

(2019年4月30日朝刊掲載)

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